死後15年以上たった現在も日本語ラップ界の伝説として語り継がれている男「TOKONA-X」。
早すぎる死にも関わらず、数多くのクラシックを生み出しました。
今回はTOKONA-Xの
- プロフィール
- 人生
- 死
- 家族
の4つの軸を中心に紹介していきます。
TOKONA-Xのプロフィール
MCネーム | TOKONA-X |
---|---|
本名 | 古川 竜一 |
生年月日 | 1978年10月20日 |
命日 | 2004年11月22日 |
身長 | 181㎝ |
出身 | 神奈川県横浜市 |
レペゼン | 愛知県常滑市 |
レーベル | Def Jam Japan |
所属 | ILLMARIACHI / M.O.S.A.D. |
TOKONA-Xは神奈川県横浜市でこの世に生を受けますが、母親が捕まり中学入学時に父の故郷である愛知県の常滑市へ小学生の時に引っ越します。
生を受けた神奈川県横浜市はOZROSAURUSのMACCHOが拠点を置く街です。
「当時から悪かった」とTOKONA-Xの名前は近隣に住むMACCHOの耳にも入っており、後に「リュウと呼ばれていた有名な男がいた、それがTOKONA-Xだった」とラップしています。
常滑市に移住してからは「よそ者」であることが理由で仲間外れにされますが、徐々に仲間を増やしていったようです。
小学生時代には悪で有名だったので、喧嘩をして勝てる同級生も居なかったのではないでしょうか。
また中学に進学した同時期、父親の再婚・異母兄弟の誕生で家では肩身の狭い生活を強いられていたそうです。
TOKONA-Xの由来
TOKONA-Xと自らのMCネームを名付けたTOKONA-Xですが、その由来は中学から住み始めた常滑市にあります。
まずTOKONAは常滑(トコナメ)市の「トコナ」から。
Xの部分は「トコナメシ」の「メ」を「X(エックス)」に見立てて。
この二つを合わせて「トコナエックス」→「TOKONA-X」となりました。
ちなみに親しい人がTOKONA-Xを「トコナメさん」と呼ぶのも上記の由来が理由です。
地元をレペゼンし、愛していたことが分かりますね。
TOKONA-Xの愛車
TOKONA-XはDef Jam Japanとの契約金でハマーを購入しています。
TOKONA-XがDef Jam Japanと契約した2003年のハマーは、新車価格800万以上です。
ハマーへの愛はアルバム「トウカイテイオー 」の「H2」という曲でラップしています。
white T-shirt にNIKE AIR FORCE
三連DOG TAGに両腕の彫りモン
黒いハマーでちょうすいとったら俺 そら俺
I’m a T-X
仲間からみたTOKONA-X
生前のTOKONA-Xを知っている人はユーモアがあり、怒らない人だったそうです。
人を笑わせることが好きだったようで、後輩に飯を食わせてあげたりと懐の大きい人だったそうです。
ラッパーTOKONA-Xの経歴
HIPHOPとの出会い
高校進学してすぐにレコード店でバイトを始めたTOKONA-XはHIP HOPに出会います。
レコード店には日本や海外のHIP HOPのレコードもあり、TOKONA-Xはそこでラップをたくさん聞きまくっていたそうです。
メッセージ性の強いHIP HOPという音楽に刺激を受けたTOKONA-Xは、自分でもやってみたいと思い始めます。
TOKONA-Xのラップスタイル
自分のスタイルを模索しつつ始めるのが一般的だと思いますが、恐らくTOKONA-Xは始めて間もないころには皆が知っているスタイルになっていたのだと思います。
その理由は、名古屋でTWIGY(ツイギー)と刃頭(ハズ)が名古屋で立ち上げたレーベルにTOKONA-Xがデモテープを送った件で明らかです。
TOKONA-Xのデモテープを聞いた刃頭は当時を振り返り「ずば抜けてカッコいい奴が居た」と言っています。
当時のTOKONA-XはM.O.S.A.D.でも一緒に活動していた”E”qual(イコール)と共に活動していた時期です。
高校に入学したばかりの15,6歳の少年が後に伝説のラッパーになるとはまだ誰も思っていなかったでしょう。
そしてこのデモテープをきっかけにTOKONA-Xにチャンスが訪れます。
伝説の幕開け|さんぴんCAMP
TOKONA-Xの名を全国のヘッズに知らしめたのはこの「さんぴんCAMP」がきっかけです。
主催者のECDが刃頭とTWIGYが組んだユニット「BEATKICKS」に出演依頼をしたのですがTWIGYはNYへ。
刃頭がTWIGYの代役として依頼したのがTOKONA-Xだったのです。
デモテープをきっかけに交流していたTOKONA-Xと刃頭は「ILLMARIACHI(イルマリアッチ」としてさんぴんCAMPの前座に出演しました。
レペゼン名古屋を前面に押し出し、「名古屋だがやぁ!!」のシャウトから始まったそうです。
まさに伝説の幕開けだったことでしょう。
当時客席で見ていたサイプレス上野も同じくらいの年齢のTOKONA-Xに衝撃を受けたようです。
さんぴんCAMP後の活動
さんぴんCAMP後のTOKONA-XはILLMARIACHIとしてレコード会社と契約します。
刃頭との活動では3枚のアルバムを完成させており、その中には名盤「THE MASTA BLUSTA」も含まれています。
3枚のアルバムを完成させ、レコード会社との契約は終了しています。
M.O.S.A.D.結成
レコード会社との契約が終わったTOKONA-Xは「Master Of Skillz」を結成します。
Master of Skillzは3MCで後にM.O.S.A.D.を組む”E”qualとAKIRAがメンバーです。
Master of SkillzからM.O.S.A.D.に改名した同年、TOKONA-Xが20歳の時に結婚をしています。
20歳で結婚し2年後には娘も誕生しています。
娘が誕生したこともあり、足場を組む現場仕事を始めたTOKONA-Xは屈強な肉体と力強い声を手に入れました。
ちなみにM.O.S.A.D.に改名したのは、メンバーにDJが加わったのがキッカケです。
Master of Skillzの頭文字「MOS」と西暦・紀元などで使われる「A.D」を組み合わせ「M.O.S.A.D.」となっています。
「俺らの時代(世紀)」という意味が込められています。
Def Jam Japanとの契約
HIP HOPの本場アメリカに本拠地を置くDef Jamが日本支社を2000年に設立。
2003年にTOKONA-XもDef Jam Japanに加わり、Def Jam Japanの契約金で「ハマー」を購入したそうです。
ちなみにニトロのDABOの契約金が2000万だったと本人が語っています。
2004年1月14日に「知らざあ言って聞かせやSHOW」、同年の1月28日に「トウカイXテイオー」が発売されました。
TOKONA-Xの死
2004年11月22日がTOKONA-Xの命日となりました。
Def Jamからアルバムを出し、人気も絶頂だった時です。
多くのラッパーや関係者、ヘッズがTOKONA-Xの死を悲しみました。
TOKONA-Xの追悼曲
AK-69 a.k.a Kalassy Nikoff / Homie…feat.HI-D
籠獅 / This is my memory feat.DABO
般若 / 根こそぎ
“Music Hustlin'” feat. 般若, AK-69, AKIRA, MACCHO, TOKONA-X, DJ NONKEY
OUTRO feat. ILL-BOSSTINO
TOKONA-Xの死因
TOKONA-Xの死因の公式発表は「夏からかかっていた熱中症に伴う体力の低下による心停止」とされています。
しかし、「TOKONA-Xが熱中症くらいで死ぬ?」「本当は何かヤバい事に巻き込まれたんじゃ・・・」など、公式の発表を信じられない人も多くいたはず。
その証拠に噂が噂を呼び、
- 売人絡み
- オーバードーズ
- 何故か矢口真里とトランスパーティーに参加して
など、色々な話が出回っています。
筆者も信じられない内の1人で、TOKONA-Xと親しいKEISHIというラッパーもTOKONA-Xと同じ年に亡くなっています。
今回改めて2人の死因をネット検索してみたところ2ゃんねるにそれらしい説も出ていました。
>>64
トコナメがコカイン中毒ぎみである日に外国人売人と揉めたんだな、そしてその売人は次ぎは最高のコカインを用意するよって、、、。
>>64
その数日後に最高のコカインを外国人売人から受け取り名古屋のクラブRADIXの前に停めた車でケイシとキメてたら、そのコカインがいわゆる混ぜもんでケイシは即死状態、トコナメは入院中に、、、。
TOKONA-Xと矢口真里の関係
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TOKONA-Xの死因を検索するとなぜか矢口真里の名前が出てきます。
原因は「実話ナックルズ」2013年9月号です。
内容を紹介します。
- 矢口真里はトランスパーティー常連
- 矢口がクラブ内でラッパーXを寝取った
- ラッパーXと矢口が揉めていた目撃証言
- ラッパーXが輩に絡まれ錠剤を飲まされていた
- ラッパーXは2004年にパーティー会場で死亡
- 警察が来るも事件として扱われなかった
実話ナックルずは明らかにTOKONAを意識してラッパーXと表記しています。
当時のネットでもTOKONAだと騒ぎになりましたが、明らかにフェイク記事です。
TOKONA-Xが亡くなったのは恐らく病院であり、DJ RYOWも最後の別れはお見舞いに行った時だと語っています。
TOKONA-Xの娘
TOKONA-Xの娘、「小町」さんがANARCHYのインスタグラムに登場して話題となりました。
小町は2000年にTOKONA-Xと妻(真美子)の間に誕生。
小町さんは4歳の時にTOKONA-Xと共に雑誌に登場して以来だったこともあり、当時を知るヘッズは成長を喜びました。
TOKONA-XとDJ RYOW
TOKONA-Xの家族と言えば、「DJ RYOW」は深く関係してきます。
TOKONA-Xが亡くなった後も、TOKONA-Xの生前の音源をMIXした作品を数多く作り家族に印税収入が入るよう支えてきました。
また、TOKONA-Xの軌跡を描いたCD「BEST OF TOKONA-X」を完成させるなど、現在もTOKONA-Xという伝説の男を広め続けています。
BEST OF TOKONA-X Mixed by DJ RYOW
TOKONAとRYOWの出会いと別れ
一方的にTOKONA-Xを知っていたDJ RYOW。
16歳の時にTOKONAを見たくてイルマリアッチのライブに足を運んだのが初対面だったそうです。
たまたま色違いの同じ服を着ていたそうで「お前いいの着とるなぁ」と話しかけられたと語っています。
また、最後の別れは病院で会ったのが最後になったようです。
まとめ
今回はTOKONA-Xのプロフィールや生前の活動、死因などを解説しました。
死後何年たってもシーンに愛され続け、伝説として君臨し続けています。
周りの人に愛され続けるカリスマ性や、今の若い人にも聞かれ続けているクラシックの数々はTOKONA-Xの生きた証です。