今、あらゆる畑で活躍するCreepy Nutsですがそのユニットの一人「R-指定」。
リリックの中で自分はどっちつかずの人間とラップしていますが、過去はどのような人物だったのか。
語彙力の高さはどこから来ているのかルーツについて調べて来ました。
また、フリースタイルMCバトルでも活躍した彼ですが、その強さはどこから来ているのか、彼の戦績やパンチラインについてまとめてきました。
R-指定のプロフィール
MC | R-指定【あーるしてい】 |
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本名 | 野上恭平 |
生年月日 | 1991年9月10日 |
身長 | 169cm |
出身地 | 大阪府堺市 |
学歴 | 堺市立泉ヶ丘東中学校 卒 大阪府立金岡高等学校 卒 桃山学院大学 中退 |
グループ | 梅田サイファー / コッペパン / Creepy Nuts |
レーベル | クリーパーズ |
二つ名 | 【King of dis】 【浪速のtoo shy shy boy】 |
SNS | 一切やっていません |
Rの異常な愛情 或る男の日本語ラップについての妄想 [ R-指定 ]
名前の由来
MCネーム名の由来ですが中学生の時に危険そうだからと思いつきでつけたそうです。
また、「般若」や「漢」に憧れ、漢字を入れたかったと語っています。
同じ名前のビジュアル系ロックバンドR指定との区別のためRのあとにハイフンを入れるようにしたと話しています。
余談ですがこのロックバンド「R指定」の曲『毒盛る』をバトルのサンプリングで使った事も。
R-指定のファッション
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身長は169cm、長髪と髭がトレードマーク。
ファッションはあまり興味がないらしく「機能性重視でお洒落のために我慢したくない」と自身のラジオで語っています。
夏はTシャツ、冬はパーカーを愛用し、ジーンズはDIESELがR-指定のスタイルです。
R-指定がお洒落を辞めた理由
R-指定がお洒落を辞めたキッカケは「闇金ウシジマくん」の「ギャル汚」こと「小川純」の回を見たからだそうです。
R-指定の生い立ち
出身地は大阪の堺市であり、バトルで畑近くの道路でラップしてたと言っていたことからそこまで都会ではなかったかと思われます。
中学、高校とバスケ部に在籍しておりましたが、ベンチウォーマーであったと自らの楽曲『スポットライト』でラップしました。
最終学歴は大学除籍であり、中退ではないのは半期分の学費を払えずタイミング的に除籍という形で登録を抹消されたからと話しています。
グループでは同じく大阪のラッパー「KOPERU」とのユニット、コッペパンや関西のラッパーで結成された梅田サイファー、そして現在活躍中のCreepy Nutsがあります。
「DJ RYOW」のアルバム内の楽曲『博徒2020』では「エントリー2000円から年収1000万円」と言っている事から「年収は1000万」稼いでいるようです。
R-指定の経歴・過去
HIP HOPとの出会い
中学生時代いわゆる不良ではなかったR-指定はラジオで流れていたSOUL’d OUTの楽曲を聴いてHIPHOPに興味を持たれたようです。
その後「RHYMESTER」、ZEEBRAを聴き本格的にHIPHOPにハマりRHYMESTERのアルバム『グレイゾーン』を聴いて共感する部分があり不良じゃなくてもラッパーになって良いんだと思わせてくれたと話しています。
影響を受けたラッパーに「RHYMESTER」「THA BLUE HERB」「ケツメイシ」「餓鬼レンジャー」「般若」などを挙げています。
また、「EMINEM」主演の自伝映画『8 Mile』でMCバトルを知り、日本にもMCバトルの文化があることを知ったそうです。
落語やラジオなどを良く聴いていたそうで現在の話の上手さや語彙力の高さはここから学んだのかも知れませんね。
梅田サイファー
高校に進学したR-指定は大阪梅田駅の橋の上でただひたすらラップする集団「梅田サイファー」と出会います。
そこで同じく大阪府豊中市のラッパー「KOPERU」に出会いコッペパンを結成します。元々は四人組だったそうですが他のラッパーが脱退しコンビでの活動になったそうです。
当時、今ほどHIPHOPが浸透しておらず、クラブにいるラッパーはハードコア志向が強く、梅田サイファーの事をオタクなどと差別する方も少なくなかったそうです。
そんな中、大阪のHIPHOPグループ「韻踏合組合」のメンバー「HIDDADY」や「ERONE」には気にせず遊びに来いと良くされていたと話しています。
梅田サイファーで即興ラップのスキルを磨いていたR-指定ですが次のステップとしてMCバトルを選びます。
MCバトル参加
最初のバトルは予選敗退だったと語っていますが
その2ヶ月後に上述の「韻踏合組合」主催のENTERという大会でB-BOY PARKのMCバトルで優勝したこともある、MSCの「漢」を破るなど成績を残します。
その後、2010年Libra Records主催のUltimate Mc Battle(後述UMB)で大阪予選を優勝し、本戦に出場、全国に名前を大きく売ります。
UMB3連覇
2011年も大阪予選を連覇し、翌年の2012年には本戦優勝を達成し、日本一のMCの称号を手にします。
そこからR-指定の勢いは止まらず、2013年、2014年と優勝。
前人未到の3連覇を達成します。
しかし、3連覇を達成した2014年にUMB引退を宣言、当時のことを3連覇にかかる期待やプレッシャー、ヘイターの心ない声などで精神はボロボロだったと語っています。
今後はあまりバトルに出る気はないと宣言し、音源活動に専念することを表明しました。
ソロデビュー
同年初のファーストアルバム『セカンドオピニオン』を発表。
有名トラックメーカー『I-DEA』などがトラック提供しており、R-指定の葛藤やルサンチマンが聴ける楽曲『使えない奴ら』は一度聴いて欲しい一曲です。
Creepy Nuts結成
現在世界一のDJとなったDJ松永と組み『Creepy Nuts』を結成。
ライブ活動を積極的に行い、そのライブは野外ロックフェスやアイドルとの対バンなど、分野問わず業界からの評価が高いです。
音源制作のペースですが、じっくりと時間をかけるタイプでリリックの完成度が高く、ダブルミーニングならぬトリプルミーニングなども多いです。
フリースタイルダンジョン
一方、MCバトルも続けており、テレビ朝日系の人気番組フリースタイルダンジョンでは初代モンスター になり、ラスボスへの道を塞ぐ鉄壁の4番手として君臨し多くのチャレンジャーを倒してきました。
モンスターになった経緯は番組オーガナイザーのZEEBRAに直接電話で「モンスターやらない?」と言われ、ZEEBRAさんの頼み断れるわけないやんと二つ返事でOKしたと語っています。
今も続く同番組ではラスボス般若の引退後、2代目ラスボスとして現在活躍しています。
バトルはフリースタイルダンジョン以外は出ないと明言しており、R-指定のバトルが見れるのは長年ダンジョンだけとなってしまいました。
しかし嬉しいことに2019年5年振りにADRENALIN MC Battleにエキジビジョンとして参加。
もしかしたら他のMCバトルにこれから出場するやもしれませんね。
ラジオ
他にもラジオが好きで、『悩む相談室』というラジオ番組を配信していました。
現在も自身の番組『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』を持っています。
また、【オードリー】や【山里亮太】【三四郎】など芸人からラジオに呼ばれることも多く、プライベートでも親交が深いそうです。
自身のラジオの内容は同じくパーソナリティのDJ松永やゲストとの会話内容が面白いので聴いたことない方は一度聴いてみることをオススメします。
R-指定の女性遍歴
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ラッパーといえば両手に女性を抱えているのがお馴染みのイメージですがR-指定さんはどうなのでしょうか。
調べてみたところ学生時代は全くモテなかったそうで、同級生女子の縦笛を隠れて舐めたことがあるなど現在告白するなど、女性経験が大分貧しかったことが分かります。
2010年頃にはバトルで自ら日本最強の童貞と言っており20歳前後まで童貞であったことが分かっています。
また、自他共に認める風俗好きであることが分かっており、自身の楽曲『Stray Dogs』や『すれ違い狂想曲』で風俗についてラップしています。
「般若」の楽曲『たちがわるい』で客演に呼ばれた際はファンに手を出した?とも取れるリリックもあります。(真実味はありません)
そんなR-指定ですが、2014年~2017年頃までは彼女がいた事が明らかになっています。
バトルで「彼女が出来た」と発言しており、彼女と見られる女性のSNS上にツーショット写真が挙がったりしていました。
当時の彼女は横浜で活動するダンサーの「YULI」さんだと思われます。
フリースタイルダンジョンで「HIDDADY」に「大阪の友達捨てて横浜に行った」とバラされていた事からおそらく確定でしょう。
しかし、2018年自身のラジオで去年別れたと発言していたことから2017年内に別れていたことが判明しました。
2019年のフリースタイルダンジョン特番では「DOTAMA」に「彼女と別れた」と言われていたことからおそらく2020年現在彼女はいないと思われます。
SNSを絶対やらないと宣言しているR-指定さんですので彼女が出来た等の報告はラジオでの情報を待つしかなさそうですね。
R-指定の特技「聖徳太子フリースタイル」とは
R-指定といえばフリースタイルですが、その技はライブでも披露します。
お客からお題を5~7個程聞き、そのお題を使用してフリースタイルするというものです。
これを聖徳太子フリースタイルと本人やファンは呼んでいます。
もちろんお客からお題を取るので何が来るかは全く分からない状態なのでまさにこれが真の即興ラップと呼べるでしょう。
高いレベルでまとまっており、お題で韻を踏むだけでなく意味を繋げることも出来るR-指定ならではの特技となっています。
テレビなどのメディアでも披露する事も多く、数々の芸能人に賛辞を送られています。
元々、梅田サイファーで磨いてきたもので、まずは量をこなしていくことで今まで出来なかったことが量をこなすことで出来るようになったと述べています。
知識も豊富にあり、学生時代は広辞苑などの辞書を引いて知らない言葉を調べていたと語っています。
また、漫画ネタや映画ネタもほぼ分かるそうです。
ここまでのフリースタイルを出来るのは、才能ももちろんのこと努力によるものなのかも知れませんね。
R-指定のMCバトルでの戦歴
R-指定を紹介する上で忘れられないのがMCバトルです。
MCバトルが大分認知された現在ですが、一人最強を決めるのは誰という質問にR-指定を挙げる人が多いくらいです。
数々の二つ名を持っており、
- 【King of Dis】
- 【浪速のtoo shy shy Boy】
- 【最強のフリースタイラー】
- 【フリースタイルの最高到達点】
などまさに最強であることが強調される呼び名ばかりです。
そんなR-指定ですが、上述の通り初めてのバトルは予選敗退と最初から強かったわけではありません。
数々のMCバトルを得て、最強の座に輝いたのです。
〜2010年まで
上述のバトルを初めて2回目の出場となるENTERでの「漢」とのバトルで10個以上歳の離れた先輩に「HIPHOPの4大要素にアンタの掲げる暴力、ドラッグ、女は入ってない」と言ったパンチラインで「ERONE」にうまいなと思わせていたらしいです。
その大会では「ERONE」に100対0の客判定で敗けたそうですが、時は流れ2009年。
またまや「ERONE」との対決になり、今度は100対0で勝利。
この年の「ERONE」はUMBの大阪代表であり、全国でも最強クラスだった1人。
この試合で「ERONE」もう新しい時代なのかも知れないと思ったそうです。
その予想は当たり、翌年の2010年UMB大阪予選を優勝。
この当時から大阪では敵無しだったR-指定は全国へとコマを進めます。
初の本戦の舞台での一回戦の相手は東京代表の「晋平太」
一回戦から東西対決となった試合は延長を含めた3戦目までもつれた結果「晋平太」に軍配が上がります。
当時はこの試合が事実上の決勝だったとも呼ばれる程レベルが高く、これまでのMCバトルでも稀に見る韻踏み合戦になりました。
この試合は今でも伝説の試合として語られ、このバトルを見てMCバトルを始めようとした方もいたくらいです。
余談ですがこの時のR-指定は他の出場者がまさにラッパーといった格好だったのに対してロン毛で革ジャン、入場曲は「椎名林檎」の『本能』を使い、一言シャウトでは「ち○ぽ」
と言うなど異彩を放ってました。
この年は結局「晋平太」が優勝しましたが確実に爪痕を残したR-指定。
全国に名前を轟かせました。
2011年〜2014年
翌年の2011年、大阪予選の決勝での「チプルソ」とのバトルではクラシック『証言』のサンプリングから入り、「THA BLUE HERB」の『PHASE 3』のサンプリングに繋げるといった技で勝利、大阪予選2連覇を達成。
R-指定の強さの一つにHIP HOPの莫大な知識量があります。
バトルにおけるサンプリングとは、かかるビートにはほぼ元となる楽曲が存在しており、そのビートを瞬時に理解し楽曲と同じリリックや相手の言った言葉から連想するリリックを使いバトルをするという高等技術です。
上述のバトルではビートが『暴言』という『証言』のremix版のようなものだったので瞬時に「ハイッ 証言5」と「TWIGY」のサンプリングをすることで客を沸かせることに成功しました。
話が逸れましたが韻を踏む、ビートアプローチ以外の所でも当時からR-指定は強かったのですね。
そして2011年のUMB本戦ですが、東京代表の「DOTAMA」との対決。
二年連続で一回戦から東西対決となりましたが、この試合で「DOTAMA」はR-指定の風貌を「EXILE」の2軍みたいと評し、「DJ Premier」からビートを買えないというドキツいDISを浴び、アッサリと敗けてしまいます。
この敗戦は大分応えたようで、苦手な酒を泥酔するまで飲んだそうです。
続く2012年も大阪を獲り本戦に出場したR-指定は、初の一回戦突破を達成し、その勢いのまま決勝へとコマを進めてます。
相手は宮崎のMC「MOL53」当時は初出場ながら強敵を倒してきたダークホースとしての存在でした。
ピートキープしづらいビートにうまくハメる「MOL53」でしたがここでも「KREVA」のサンプリング「お前がやってんのは踊り、俺が持ってんのは誇り」とサンプリングし、勝利。
初の王者の座を掴んだのでした。
2013年も前年度王者として本戦に出場し、昨年自分が敗けた「晋平太」に勝利した相手「NAIKA MC」と1回戦から対戦するもこれを勝利し、昨年のもう一人のダークホース「Kowree」や東北の重鎮「JAG-ME」を撃破。
またも決勝進出する、相手は運命の悪戯か一昨年に惨敗した「DOTAMA」
勝負は二人共精神や体力をすり減らした死闘と化し、勝負は3本目もでもつれます。
ここでR-指定は一昨年の回答ともいえる「俺は2軍じゃなく今や一軍、Premierのビート無しでもつくるクラシック」で勝負を決め、2連覇を達成します。
ここからR-指定対DOTAMAの対決はチーム戦含み2011年から2019年まで7回行われています。(戦績はR-指定4勝3敗と勝ち越し)
まさに永遠のライバルといった二人ですが、本人達的には「何回やらすねん」「もう言うことない」とあまり戦いたくはない様子です。
2014年も3連覇を目指し、大阪予選を5連覇し、本戦に挑みます。
二回戦でライバル「DOTAMA」を撃破しましたが、次の対戦相手「呂布カルマ」とのバトルでは「お前がMCバトルをつまらなくしてる」「今日ここの観客はお前が負ける所を見にきたんだ」など痛烈なDIS。
当時プレッシャーに押し潰されそうになっていたと語るR-指定はどんどん余裕が無くなってきましたが、パンチラインの応酬の末、ほんの僅差でR-指定に軍配があがりました。
当時観客からやりなおせとヤジが飛ぶほど互角の戦いでした。
その後福島のベテラン「GIL」を下し、決勝で茨城の叩き上げ「GOTIT」を破り前人未到のUMB3連覇を達成。
優勝後のフリースタイルでは『蜂と蝶』の上で優勝フリースタイルを披露しUMB引退を表明します。
フリースタイルダンジョン
翌年の2015年、テレビ朝日系の深夜番組フリースタイルダンジョンにオファーがかかる。
5人のモンスターラッパーを倒せば賞金100万円というコンセプトでスタートしたこの番組にモンスターとしてレギュラー出演。
スタート時はR-指定倒すとか無理ゲーと評されていました。
ラスボスを務めた「般若」もR-指定いるからラスボスまで来ないよと言われたからオファー受けたと冗談混じりに話していたそうです。
そんなR-指定の初陣は沖縄の若手で後にUMB2015年を優勝する「CHICO CARLITO」3人のモンスターを破り上ってきました。
しかし圧巻のスキルでこれを撃破、3連覇王者の強さをお茶の間でも証明しました。
続くチャレンジャーも撃破したR-指定でしたが次の相手の高速ラッパー「焚巻」に敗けてしまいます。
本人は久しぶりにバトル敗けたと話していました。(2012年から敗け無しなら3年振り?)
その後もラスボスへの道を塞ぐ鉄壁の4番手としてモンスターに君臨し、多くのチャレンジャーをねじ伏せてきました。
その勝率は21戦16勝5敗 勝率約75%と極めて高いです。
(敗けたのは【焚巻】【崇勲】【KOPERU】【TKda黒ぶち】【晋平太】)
その後番組の意向でモンスターを卒業。
MCバトルの世界ではしばらく姿を見せませんでしたが、2代目モンスターへの稽古試合で初代モンスターとして出演し、UMB2006年王者の「FORK」と夢の対決が実現しました。
そこからダンジョンの企画でモンスター側の助っ人として度々出演していましたが、ラスボス般若の引退表明後、ラスボスの座を引き継がれます。
引退試合として行われた「般若」とのバトルではリスペクトが入り混じり、最後はラスボスからの熱い意志を受け取りラスボスになることを決意します。
現在モンスターは3代目に代替わりし、ラスボスとしてフリースタイルダンジョンに君臨しています。
まとめ
自らの事を使えない奴らと称していたラッパーが今では日本一のラッパー、ラスボスと呼ばれるほどになりました。
ラッパーとしては平凡な人生でカッコ良いバックグラウンドもないと言っていたR-指定ですが自らその運命を変えたと言ってもいいでしょう。
現在ライブや音源制作はもちろんのこと様々なメディア出演やタイアップなどで活躍しています。
その他にも『Rの異常な愛情』というラッパー紹介の書籍化も追加出版が決まり、ラップだけに留まりません。
今後の日本語ラップの未来もこの人物にかかっていると思います。