BRON-Kは神奈川県相模原市出身のラッパーです。
その唯一無二の世界観でコアなリスナーや同業者から高い評価を受けている彼。
いわゆる「ヒップホップ的」な世界ではないですが、何気ない日常の幸せや悲しみを、鋭く切り取った作品には定評があります。
またヒップホップグループ、SD Junkstaのメンバーでもあります。
今回は、そんなBRON-Kのプロフィールを紹介していきます。話題になった失踪事件の顛末や、SD Junkstaについても紹介します!
BRON-Kのプロフィール
MCネーム | BRON-K |
---|---|
出身 | 神奈川県相模原市 |
生年月日 | |
所属 | SD JUNKSTA |
レーベル | 諭吉レコーズ |
BRON-Kの読み方と名前の由来
BRON-K、読み方は「ブロンケー」です。
名前の由来についてはわかりませんが、BRON-Kと名乗り始めるまではBNK(ベンケイ)と名乗っていたので、それを元にしていると思われます。
BNKという名前は、共にSD JunkstaのメンバーであるNORIKIYOがラッパーとしての活動を始める際に、一緒に深く考えずに付けたそうです。
BRON-Kの結婚・彼女・子供
BRON-Kには息子がいます。
2nd Album『松風』の歌詞は、息子に宛てたものになっています。「Oh, Baby 息子よ この世は金次第さ」などと歌われています。
また、1stアルバム『奇妙頂来相模富士』収録曲の『何ひとつうしなわず』は、奥さんに言われた言葉を元にして作った、と話していて、その頃には結婚していたようです。
ただ、後述する失踪事件の際には「恋をした」との置き手紙をしていたようで、離婚しているのかもしれません。
SD Junkstaについて
SD Junkstaは、神奈川県相模原市のヒップホップグループです。
メンバーは、NORIKIYO、BRON-K、TKC(ティー・ケー・シー)、KYN(ケー・ワイ・エヌ)、Wax(ワックス)、Ojibah(オジバ)、Site(サイト)、DJ Deflo(DJデフロ)DJ Isso(DJイソ)です。
NORIKIYOとBRON-Kが意気投合してできたグループだそうなので、BRON-Kは創立時からのメンバーということになりますね。
BRON-Kの性格
1stアルバムと2ndアルバムの間が4年半空いているのですが、その間は本人いわくずっと遊んでいたそうです。
曲が揃わなくてアルバムを出せていなかった様なので、遊び好きでワーカホリックなタイプでは無さそうです。
そのあたり、盟友のNORIKIYOとは正反対ですね。
インタビューなどでも、あまり口数が多い方では無さそうなので、大人しい方なのかもしれませんね。
ただ、遅刻癖があったり、「金の使い方がわからない」というような発言があったり、後述の失踪事件の件など、少し(かなり?)ルーズなところがあるのかもしれません。
曲作りのペースも、かなりマイペースなようで、1st Album『奇妙頂来相模富士』と、2nd Album『松風』の間もかなり空いています。
BRON-Kの趣味
趣味といっていいかどうかわかりませんが、はじめ町田のクラブなどに出かけていて、その時はあまりハマらなかったそうですが、19歳の時にクラブでナンパを覚えてから、クラブ遊びにハマったそうです。
1stアルバム『奇妙頂来相模富士』収録曲、『ROMANTIK CITY』でも、ナンパをするシーンの描写がありました。
意外にも女好きなようです……。
BRON-Kの過去・経歴
BRON-KのHIP HOPとの出会い
BRON-Kがヒップホップと出会ったのは、中学2年生の時だそうです。
アメリカから帰ってきた幼なじみの友達が、アメリカの大物ラッパー、Snoop Doggの曲、『MURDER WAS THE CASE』を聴かせてくれたんだそうです。
Snoop Doggが拳銃で撃たれるところからはじまるこの曲。「空を見上げて脈拍が超速くなって」という風に、友達が歌詞の意味を教えてくれたそうです。BRON-Kは、かっこいいけど、本当にそんな生活があるのか? と思ったそうです。
素敵な出会い方ですね。
BRON-Kがラップをはじめたきっかけ
はじめてリリックを書いたのは18歳の頃ですが、自分のリリックを書くより前に、KORG社のMTR(マルチ・トラック・レコーダー)を買って、Snoop Doggの曲の歌詞をカタカナに直して歌って録音していたようです。
声の重ね方や小節の数え方などはこのように有名なラッパーの曲のコピーで覚えたようですね。
はじめは外国人が歌うヒップホップばかり聴いていて、日本語はダサい、と思って聴いていなかったと語っています。
はじめてかっこいいと思った日本語ラップはBUDDHA BRANDの“Don’t Test The Master”だそうです。
またいろんなラッパーの歌詞カードからリリックを抜粋して、それを並べて読んだりもしていたそう。
その時のテープは残念ながら捨ててしまったそうです。聴いてみたかったですね。
BRON-Kのラッパーとしての経歴
SD Junkstaのメンバーとしてデビューしたのち、2008年リリースのアルバム『奇妙頂来相模富士』でソロ・デビューを果たします。
2012年にはセカンド・アルバム『松風』をリリースしさらに評価を上げました。
またNORIKIYOの2019年リリースのアルバム『平成エクスプレス』収録曲、『What I Know About That(feat. QN & BRON-K)』でも客演し、久しぶりにメロディアスなラップを聴かせてくれました。
BRON-Kのデビュー曲
BRON-Kのデビューは、2008年のアルバム『奇妙頂来相模富士』ですね。
SD Junkstaとしては、『GO CROSS THE GAMI RIVER』がデビューアルバムになります。
BRON-Kの失踪事件について
ファンの間では有名な話ですが、SD Junkstaの2nd albumの制作が佳境に入った2013年の9月に、BRON-Kが失踪したようで、その顛末が広報担当の方のブログに書かれていました。
「恋をした。探さないでくれ。」との書き置きを残して失踪したBRON-Kが、数日後事務所に姿を表して「山に籠り、獣達と話し、川の水を飲み、主にキノコを食べていた。」と話し、その後居合わせたNORIKIYOらに怒られたみたいです。
どうやら女性にフラれて落ち込んでいたようですが、それで失踪して多くの人に迷惑をかけてしまうあたり、少しだらしない人なのかもしれません。
BRON-Kのラップスタイル
独特なメロディアスなフロウと高い文学性を持つリリックでリリシストとして高い評価を受けています。
同じくリリシストとしての評価の高い先輩ラッパー、SEEDAなどとも違う、ヒップホップの詩というよりも文学作品の様な趣きがありますね。
また2ndAlbum『松風』では、収録曲『PAPER,PAPER..』や、『ムカエニイクヨ』にみられるような、ケロケロしたロボットのような声になるエフェクト、「オートチューン」を好んで使っています。
単なるラップというよりは、歌うようにフロウするスタイルは唯一無二で、リスナーのみならず他のラッパーやDJ、トラックメイカーからも支持されています。
また、『PAPER,PAPER..』のように、ヒップホップによくある、金を稼ぎたい、というようなリリックのむしろ逆をいくようなリリックなど、ヒップホップ界、ラッパー界では異色の存在といえるでしょう。
BRON-Kが所属しているレーベルやチーム
所属しているチームはNORIKIYO率いるSD Junkstaです。
またSDJunkstaのDJ ISSOが社長を務める「諭吉レコード」からCDのリリースを行っています。
BRON-Kが仲の良い人物
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同じSD JunkstaのメンバーであるNORIKIYOと仲がいいようです。
2人がまだ直接話したこともないような頃に、BRON-Kの元にNORIKIYOから直接電話がかかってきて、そこから仲良くなったようで、それが1999年頃のことなので、2人はもう20年来の付き合いですね。
件の失踪事件の時もBRON-Kのことを思ってちゃんと怒ってくれたようです。
アンダーグラウンドとオーバーグラウンドを股にかけ大物との共演など精力的に活躍の場を広げるNORIKIYOと、あくまで自分の世界を大事に自分のペースで活動するBRON-K。
アーティストとしてのあり方はある種対照的と言ってもいいほどのふたりですが、親友と言って良い間柄なのではないでしょうか。
BRON-Kの現在は?
2012年にリリースしたアルバム『松風』を最後に、自らの作品のリリースはないのですが、NORIKIYOの2019年リリースのアルバム『平成エクスプレス』収録曲、『What I Know About That(feat. QN & BRON-K)』で、久々に客演しました。
2019年のNORIKIYOのライブにもゲストとして出演していたみたいです。
久々に元気な姿が見られて、ファンは嬉しかったのではないでしょうか。こうなると8年ぶりの次回作も出して欲しいところですね。
BRON-Kのオススメの音源
以下の記事にオススメの音源をまとめています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
以前は私生活でトラブルがあった様ですが、幸いにもNORIKIYOや他のSD Junkstaのメンバーなど、仲間がそばにいるので、なんとか立ち直っているといいですね。
最近は目立った活動こそない様ですが、稀代のリリシスト、BRON-Kの今後の活躍に期待したいです。