2003年から活動を開始し日本のヒップホップ界の頂点にのし上がったラッパー・AK-69。
地元愛知県小牧市から始まり武道館で三度のワンマンライブ。
誰もが羨む生活をしているように見えますが、たまたま成功したわけではありません。
自身の手で勝利を掴み取った王者は努力の証です。
今回はそんなAK-69さんについて調べてみました。
プロフィールや過去、現在の奥さんとの関係について調べてみました。
AK-69のプロフィール
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MCネーム | AK-69 |
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本名 | 武士 尋己(たけしひろき) |
生年月日 | 1978年8月28日 |
身長 | 169cm |
血液型 | A型と噂あり |
出身 | 愛知県小牧市 |
レーベル | 1978年8月28日 |
事務所 | Frying B Entertainment |
SNS | Twitter / Instagram |
名字が武士と書いてたけしと読むのですが、かなりかっこいい名前です!
MC名とは打って変わってかなり日本らしい本名ですね。
AK-69の由来
MC名のAK-69は「世界で最も多く使われた軍用銃」としてギネスに登録されている、かの有名なAK-47から来ています。
活動当初は「AK-47」と名乗っていましたが、「DJ MOTO」に「女の尻ばかり追いかけている」と言われたことにより「69」と改名。マシンガンのようにラップをするという意味も掛かっているそうです。
また、シンガーとして歌唱する時はKalassy Nikoff(カラシニコフ)と名乗っていた過去もあります。
カラシニコフとはAK-47を設計したロシアの軍人の名前で、AK-47やその派生の銃を総称して「カラシニコフ銃」と呼びます。
現在はAK-69で統一しているそうですが、どちらもセンスのある名前です。
AK-69が運営するファッションブランド
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AKは2004年よりファッションブランド「BAGARCH(バガーチ)」のプロデュースをしていて、本人もインスタグラムなどで身につけているのをよく見かけます。
芸能人だとDA PUMPのISSAさんが愛用していたようです!
AK-69の愛車
日本で1番成功しているラッパー「AK-69」。
愛車は5台の高級車たちです。
- ベントレー コンチネンタルGT
- ロールスロイス カリナン
- フォード レンジローバー
- ジャガー XJ
- ジャガー SVR
ベントレー コンチネンタルGT
値段:約2500万〜
ロールスロイス カリナン
値段:約4000万〜
フォード レンジローバー
値段:約1500万〜
ジャガー XJR
値段:約1300万〜
ジャガー SVR
値段:約1000万〜
レーベル
2016年からAKはDef Jam Recordings に所属しています。
Def Jamの取締役の方とNYのクラブで知り合い、本社に行った際に社長と話したそうです。
その後、Def Jamの日本での活動が乏しくなっているのを知ったAKが、“自分がもう一度その扉を開けたい”と思い決断に踏み切ったと話しています。
AK-69の年収
AK-69は音楽のみで1〜2億の年収を稼いでいるそうです。
売り上げベースでいくと数十億だとか。
アパレルも展開しているAK-69ですがアパレルの報酬は10万に設定していると語っています。
アパレルは赤字でもいい税金対策としてやっているのではと推測できます。
AK-69の家族
インスタの写真は母親と姪っ子です。
父親・母親
AKのお母様は昔から口うるさく、お父様はそれを笑って許すような穏やかな方だったそうです。
2016年末AKの父は肺癌により亡くなられています。
いつもにこやかで母に叱られた時は味方をしてくれるような存在でした。
誰からも好かれる「いい人」だったとAKは語っています。
ですが、当時はヘラヘラしている父親のようにはなりたくないと思うようになっていたそうです。
しかし癌が発覚し入院を繰り返すうちに、AKの父に対する想いが変わっていきます。
苦しい中で見舞いに来てくれた人や看護師にも気丈に振る舞い、常に周りのことを考えていた父。
亡くなる3日前に2人で写真を撮っていますが、肺癌だった父は酸素マスクをつけていませんでした。
相当苦しいはずですが写真を撮る直前にマスクを外し、ピースをして写っています。
そんな父を看取り、父はただのいい人ではなかったと知ります。
AKが翌年に出している楽曲「Stronger」は亡くなった父に向けた歌で、リリックの「優しさとは強さ」は父に対する尊敬が綴られています。
母はというと、口うるさかったと語っていますが、武道館での公演も観にきていたようです。
ですが、耳栓を持参していて、ライブ後には「うるさかった」と言われるようです。
小さい頃から過去にかなりやんちゃしてたのでお母様も大変な思いをしてるはずですが、なんだかんだ言いつつライブを観にいっているので、親なりの愛情を感じますね。
AK−69の奥さんと離婚している?
AKには下積み時代から支えてくれた奥さんがいるという話は有名ですよね。
2016年にリリースしている「With You 〜10年、20年経っても~」は奥さんのためにつくられた歌だそうです。
しかし、そんなAKに離婚疑惑が上がっています。
その原因は「雨音 feat.LA BONO」でコラボしたLA BONOのインスタグラムでのストーリーです。
突然LA BONOがストーリーにAKのプライベートのことを暴露し、文の中に「それと嫁さんに浮気がバレて離婚してんのによくラブソング歌えるな!」と書かれていました。
調べてみると、2018年の下半期頃から自身のMVで指輪をつけなくなっています。
これに対してAKは言及しておらず、詳細はわかりません。
ですが離婚の原因についても内部のことは本人たちにしかわからないので、表に出ていることだけを信じないことも大事です。
AK−69の生い立ち
愛知県の小牧市で生まれ育ったAKですが小さい頃からやんちゃだったそうです。
少年院時代
AK-69は少年院に入所していた過去があります。
基本的に私語厳禁の少年院。
畑仕事でトラクター担当になったAKは、トラクターの騒音に隠れて「GLAY」の「ずっと二人で」を熱唱しながら彼女を思っていたそうです。
ちなみにトラクターの騒音でAKの歌声はカモフラージュ出来ておらず、懲罰からの独居房行きになっています。
AK-69のバイト体験
AK-69は高校時代様々なバイトを経験しています。
親戚のおじさんの飲食店で皿洗いから始まったAKのバイト体験。
いつまでもシフトを覚えられずすぐにクビに。
以降も「引越し屋」「工事現場」「プールの監視員」「ピーナッツ加工工場」とバイトしますが長くは続かなかったそうです。
その後中古車関係の仕事に辿り着き、車が好きだったAKはガソリンスタンド屋へ転向。
中日の選手や社長が乗ってくる車を見るのが楽しみだったそうです。
ガソリンスタンドの仕事は結婚していた事もあり、音楽で成功するまで続けています。
AK−69の経歴
数々の場所でライブをしてきたAKですがやはりすごいのは三度も武道館でのワンマンですよね。
そんな彼の経歴を少しずつみていきます。
B-NINJAH&AK-69結成
中学の友人「B-NINJAH」と共に「B-NINJAH&AK-69」として活動を開始。
ニートtokyoでも分かる通り、当時の名古屋のHIP HOPは異様でした。
活動当初のAKはギャングスタラップをしており、警察をディスって自主回収となった「The One Time -Wake up my homies-」は名作です。
ちなみにB-NINJAHは「テレサテンの歌詞のような女」を聞けば分かる人も多いのでは無いでしょうか。
テレビCMにも音源が採用されるなど順調な活動をしていた「B-NINJAH&AK-69」ですが、B-NINJAHの大麻取締法での逮捕で活動中断。
AKはソロでの活動にシフトします。
ソロでの活動
2004年3月31日に自身初のソロシングル「NEVER GONNA STOP/THAT GIRL」をリリース。
同年6月にはファーストアルバム「PAIN THE WORLD」を発表しています。
2010年5作目となるシングル「PUBLIC ENEMY」をリリース。
収録曲「IRON HORSE -No Mark- 78ers Remix feat.M.O.S.A.D.,MACCHO,般若」は、ご覧の通り豪華客演陣です。78年組の3トップが揃ったおかげがオリオンチャートも13位に入っています。
NY武者修行
2012年ニューヨークに渡り8ヶ月間の武者修行を開始。
ニューヨークではHIP HOP 専門ラジオ曲が主宰するライブにも出演しています。
武者修行の末完成させたアルバム「The Independent King」はオリコン週間5位に入っています。
中日ドラゴンズとの親交
中日ドラゴンズの元監督・谷繁元信がAKのファンであり親交が深かったため、監督に就任した2014年から中日ドラゴンズと関係を持つようになりました。
2014年の9月には名古屋ドームでライブを行った経験もあります。
特にすごいのは、2014年/2015年/2017年において、プロ野球選手の登場曲に使用されたアーティスト第一位に輝いています。
AKの歌は自分を鼓舞してくれるものがすごく多いので、常に緊張と戦っている野球選手がAK−69の歌を選ぶ理由がよくわかります。
他にも使われているAK-69
野球界だけに止まらずサッカーやボクシングなどの格闘技の選手にもよく聞かれているAk-69の楽曲。
サッカーの槙野選手(MK-69と名乗っている)やボクシングの井岡選手をはじめ多くのアーティストを支えています。
中にはライブまで足を運ぶアスリートも居ます。
DEF JAM加入
2016年にDEF JAMに電撃加入したAK-69。
アメリカでDEF JAMの社長や取締役と繋がりができた事がキッカケで加入しています。
過去にはDABOやTOKONA-Xが所属していたDEF JAM JAPANですが、レーベルはあるものの所属アーティストが居ない状態でした。
そこいAK-69が加入し再始動しています。
日本武道館で3度のライブ
AK-69は日本人ラッパーで唯一3度の日本武道館でのライブを成功させています。
1度目は2014年「THE FUTURE」と題して開催された初の武道館は約2時間で38曲を披露しています。
途中で盟友「TOKONA-X」を追悼するシーンもありました。
2度目は2017年「DAWN in BUDOKAN」を開催。
2度目の武道館では客演として「清木場俊介」や「UVERworld」「般若」「NORIKIYO」「2WIN(T-Pablow&YZERR)」を招いています。
1度目よりも客数も多くチケットはSOLD OUT。
日本人ラッパーの格をあげた武道館ライブでした。
3度目は2Daysで「THE ANTHEM in BUDOKAN」を開催。
デビュー15周年を総括する2日間でした。
1日目はデビューから2011年までの楽曲を中心に、2日目は2012年から2019年までの楽曲を中心にセットリストを組んでいます。
2日目の客演ではXJAPANのToshiも客演として来ており、大きな話題を呼びました。
映画「影に抱かれて眠れ」で俳優デビュー
2019年9月に公開された映画「影に抱かれて眠れ」で俳優デビューしたAK-69。
ヤクザ役を演じています。
初めての映画撮影という事で「気負いがあった」そうです。
般若をはじめラッパーはヤクザ役が多いですね。
AK-69と仲がいいラッパー
他業界の著名人と仲がいいAK-69ですが、やはり同世代ラッパーとは特に仲がいいです。
今回はAK-69と親交の深い人物を紹介します。
DJ RYOW
DJ RYOWとAKは地元も同じで特に仲がいいです。
DJ RYOWはAKのライブDJを務めるなど特に信頼されている人物で、一緒にラジオ番組を持ったり海外旅行に行く仲です。
AKはDJ RYOWのことを以下のように語っています。
RYOWは ただDJ、プロデューサーっていうだけじゃなく、アーティストとして立ち位置を築いてる日本でも稀なDJだと思う
友人としてだけでなくアーティストとしても共にフックアップし合う2人。
先輩後輩以上の関係になっています。
般若
共に武道館を経験し日本人ラッパーでトップを走る2人。
実は同じジムに通っています。
人に出来ない相談をし合ったり、電話で何気ない会話をし合う仲です。
真剣に活動している般若を見ることでAKは自分の活動の答え合わせになっていると語っています。
AK−69ニートtokyoまとめ
ラッパーに様々なことをインタビューしYouTubeで配信している“ニートtokyo”。
若手のラッパーから有名な方まで数々の動画がアップされていますが、AKの動画が上がった時は“ニートtokyoにAKが出てる!”と歓喜の声が上がっていました。
インタビューを見て思ったのは、とにかく話がうまい!です。
2〜4分の動画ですがどの動画もついつい聞き入ってしまい一瞬で終わってしまいました。
やはりAKならではの貫禄があって、話すことの次元が違います。
数々の偉業を成し遂げている彼が
「口でいうことは簡単で、それを実現することは誰にでも出来ることじゃない」と語る様には圧巻。
ニートtokyoを見て、嫌いだったAKが好きになったと言っている人もいるほどです。
アンチについてや、収入についてなどニート
tokyoだからこそ聞ける話が山ほどなのでぜひチェックしてください!
まとめ
以上、今回はAK−69についてまとめてみました!
離婚疑惑などファンからしたら悲しい話もありますが、
父の死や努力してきた下積み時代などの様々な痛みを越えて勝利を手にしたAK。
ヒップホップのアンダーグラウンドという壁を壊してくれた伝説のラッパーです。
彼の今後のさらなる活躍が非常に楽しみです!