小林勝行のプロフィール
MCネーム | 小林勝行 |
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本名 | 小林勝行 |
生年月日 | 1981年 |
出身 | 兵庫県神戸市 |
小林勝行とは
小林勝行(こばやしかつゆき)は1981年生まれ、兵庫県神戸市を中心に活動するラッパーです。
20歳のときにお笑い芸人の夢をあきらめ、仲間に誘われてラップを始めました。
当初は「神戸薔薇尻」名義で活動し、2006年、DJ NAPEYにフィーチャリングされた楽曲「蓮の花」がHIPHOPシーンで話題となります。
その後も、SEEDA & DJ ISSOによる「CONRETE GREEN」に「絶対行ける」が収録されるなど評価を高めますが、躁うつ病を発症。活動を停止します。
退院後はラップをやめるつもりでしたが音楽レーベル「ウルトラ・ヴァイブ」の熱烈なアプローチに応える形で復帰。2011年、小林勝行に名義を変え1stアルバム「神戸薔薇尻」をリリース。
ブランク以前からの出来事をテーマに等身大のラップを披露します。そんな矢先、またしても躁うつ病が悪化し入院。医者に病気は完治しないと告げられますが、それでも復帰。ライブ出演やLIBROの客演を務めるなどの活動を続け、2017年 に2ndアルバム「かっつん」、2022年 に3rdアルバム「KATSUYUKISAN」をリリース。
自らの挫折体験に基づく力強い言葉が多くのリスナーの心を揺さぶります。
名前の由来
小林勝行は本名です。元々、ソロにも関わらず2人組ユニット「神戸薔薇尻」(こうべばらけつ)の名前で活動していましたが、1stアルバムリリース時に変更しました。理由についてはHMVのインタビューに答えています。
「いっぱい理由はあるけど、本名でいくんがベストやと思った。タイトルにしたんはディレクターと相談して、精一杯のけじめみたいな感じです」。
ちなみに神戸薔薇尻については、かつて神戸に存在した愚連隊の別名「バラケツ」に当て字をして引用したそうです。
家族
両親、兄と妹の5人家族です。
学生時代
本人いわく中学時代から不良だったそうです。都築響一のインタビューに当時の状況について答えています。
「放送室に乗り込んで、昼休憩にラジオみたいな真似したり、体育祭をムチャクチャぶっ壊したり。年下の学年に尿検査やとかって乗り込んでいったり、花瓶にオシッコして枯らしたり(笑)、そういうことばっかりしてましたね」。
その後、中学時代の仲間と高校へ入学しますが1年で中退します。
「高校はもう、神戸の私立でいちばんアホって言われてる学校があるんです(笑)。高1でやめたんで、ほんとにちょっとしか高校には行ってませんでした」。
趣味
小さい頃はビートたけしなどのお笑いが好きだったようです。
飲み物はウェルチが好きなようです。
影響を受けた音楽
HMVのインタビューにて、自らが影響を受けた作品として尾崎豊「セブンティーズ・マップ」、長渕剛「いつかの少年」、カッツェ「カッツェ3」を挙げています。
中学時代は、ZIGGYやBOOWYのコピーバンドを組み、ベースを担当していたようです。
小林勝行の過去・経歴
HIP HOPとの出会い
16歳の時に付き合っていた彼女がヒップホップの服を着ていたことが最初の出会いだそうです。
ラップを始めたきっかけ
小林勝行は元々お笑い芸人志望で二十歳になると、中学の友達を誘って毎月『base よしもと』でオーディション受けます。
しかし、全くウケなかったために半年でお笑いの世界を諦め、仲間に誘われラップを始めることになります。
当時はDragon Ash,ZEEBRA,KICK THE CAN CREWを聴いていました。特にKICK THE CAN CREWの「ユートピア」に影響を受けたようです。
「ICMB」という3人組ユニットを結成しリリックを書き始めます。
ラッパーとしての経歴
都築響一のインタビューに答えていた内容をまとめます。
ICMBのうち、1人が仕事の関係で音楽に時間が割けなくなり、2人組のユニット「神戸薔薇尻」を結成します。
神戸のクラブでライブを行いますが、反応はあまりよくなかったようです。
そんななか小林勝行は、世の中に認めてもらうために作品を出す必要があると感じます。
「僕、アイフル行って10万借りたんですよ。それでスタジオ入って、3曲録ったんです。それをNAPEY君のポストまで持っていきまして、『よろしくお願いします』と」。
これにより、当時、神戸を代表するDJでトラックメイカーであったDJ NAPEYに認められ代表曲「蓮の華」が生まれます。ちなみに、この曲は「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0」でR-指定とDJ 松永に日本語ラップのクラシックとして紹介されました。
また、2020年にDJ HAMAYAにフィーチャリングされる形で「蓮の華2020」として、新バージョンが生まれアナログ限定でリリースされました
その後、相方が逮捕されソロ活動を開始。
2007年には、SEEDA & DJ ISSOのアルバム「CONCREET GREEN WHITE CHRISTMAS」に「絶対行ける」が収録され、神戸薔薇尻の知名度は全国に広がります。
しかし、小林勝行はこの頃から精神に支障をきたし躁鬱病を発症します。
生活のための仕事をするのがやっとの状態で、楽曲制作どころではありませんでした。
「ほんとに、そのころの記憶ははっきりしてないくらいなんですけど、地元のトラックメイカーとやろうとしていた話も頓挫したりして。そのころから今度はちょっと躁が入りだして。完全に躁鬱病ですね」。
病気の影響でトラブルを何度も起こしたために家族に入院させられます。
「オカンが病院連れて行くって言って。オトンにも言って、まわりの腕っ節強いやつとかにも。でも、もうイケイケやから言うこと聞かないやないですか。自分がおかしいとは思てないですから」
躁鬱状態からの回復後、小林勝行は「もう絶対親孝行せなアカン」とラップをやめます。
トラブル起こした際に膨らんだ借金を返すために、仕事だけに集中しようとしたのです。
「もう完全にゼロからやり直したんです。携帯も替えて。友達ホンマに5人ぐらいしか入れないで。みんなにも連絡を取らんと、ひそかに」。
そんな小林勝行の元に、音楽レーベル「ウルトラ・ヴァイブ」のディレクターが訪れます。
「自分が責任取るから、もう一回(ラップを)やらないか」と言うのです。
これが転機となり、2011年に1stアルバム「神戸薔薇尻」をリリース。1曲目から9分超えの「108bars」はYouTubeのコメントでも「2000年以降の日本のHip-Hop史の中で自分の人生を最もリアルに描写した曲の一つ」という高評価が上がりました。
以後、躁うつ病の悪化による活動停止期間を挟み2017年 2ndアルバム「かっつん」をリリース。映画「寛解の連続」では再入院からこのアルバムをリリースするまでの日々が描かれました。2022年 には最新3rdアルバム「KATSUYUKISAN」をリリースし現在に至ります。
ラップスタイル
1stアルバムリリース時のプロフィールから引用します。
「神戸薔薇尻こと小林勝行、メロウです。等身大というよりも赤裸々で生々しい、その波瀾万丈な世界観とブッ飛んだワードセンス、ブルースを感じさせる、ラップと同一線上に歌を落とし込む(落とし込める)独特のスタイル、声質とフロウ、相乗効果を生むイケてる関西弁、全てが唯一無二。ギャングスタでもハスラーともひと味違うリアルな世界を断片的な心情と情景の描写によって描き出し、聴き手の想像力を掻き立てそのストーリーに引きずり込んでいく」。
また、小林勝行自身は「108 bars」の曲で「どこにもないフロー ほんでどこにでもある自然でいなたいリリック」と自称しています。
ラップ好きのお笑い芸人であるカミナリの石田たくみはこうコメントしています。
「正直言って、万人受けするタイプの音楽ではないですよね。聴いていて楽しい音楽でもない。もしかしたら落ち込むかも知れない。でも人生に迷ってる人、生きる上での覚悟が欲しいって人には、是非とも聴いてもらいたい。なんていうか自分自身の「活路」を探し出すきっかけになる音楽だと思うので。聴いて、落ち込んで、考えて、答えを見つけ出して欲しいです」。
小林勝行の周辺人物
神門(ごうど)
1986年生まれのラッパー。同じ神戸出身の小林勝行と「HERE IS HAPINESS」、「一秒前」で共演。
DJ NAPEYとの「泥中花」では、当時活動を停止していた小林勝行を鼓舞するリリックをラップしています。
「あんたを誰かがヤバいと言ってることを聞いたら悔しくなったし 昔の音源クラシックばっかり」
「悔しいけれども全国のリスナーがあなたの音源を待ってます いつまで待たせるおい薔薇尻」
「あんたがどんだけヤバいかなんてさあんたが一番知ってるはず」
「バケモン1人減って嬉しいけど張り合いないっすわ復帰してくれ」
「神戸のため?いいや違う日本のヒップホップのため」
映画「寛解の連続」
2021年、光永惇が監督を務めた小林勝行のドキュメンタリー映画「寛解の連続」が上映されました。
内容
2011年に小林勝行は1stアルバム「神戸薔薇尻」をリリース。ブランクから復帰後、多くのリスナーの支持を受け幸先よくラッパーとしてのキャリアを歩み始めたかに見えました。そんな矢先、小林は活動を再び休止します。
持病の躁うつ病が悪化したためでした。またしても入院。隔離病棟での生活が始まります。
完治しない病気と1人のラッパーの生き様。この映画は、退院後の小林勝行が2017年に2ndアルバム「かっつん」をリリースするまでの記録です。
評判
この映画を観た人は、ネット上で以下のように述べています。
「 素晴らしかった。躁鬱病の人に見てもらいたい。僕は少なからず救われた」
「自分は躁鬱病では無いけど、完治することがない病気になったので、余計言葉には響いた」
「ラップはほとんど聴かないから分からないけれど、真摯に自分と向き合う姿に、強く心打たれた。