フリースタイルダンジョンで初代モンスターとして登場した漢aka GAMI。
多くのヘッズは漢が地上波にでた事に驚いたことでしょう。
リアルを追求する漢が地上波でラップする事に皆が釘付けになったと思います。
今回はそんな漢のプロフィールを紹介していきたいと思います。
漢aka GAMIのプロフィール
MCネーム | 漢a.k.a.GAMI (カン エーケーエー ガミ) |
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本名 | 川上国彦 (かわかみくにひこ) |
生年月日 | 1978年6月7日 |
身長 | 177㎝ |
出身 | 新潟県長岡市 |
レペゼン | 東京都新宿区 |
出身高校 | 堀越高等学校 |
レーベル | 9SARI GROUP |
9SARI Twitter | |
インスタ | 漢インスタ |
漢は現在のHIPHOP界No.1イベントのKOKという日本一のMCを決める大会を作った人物です。
出身校は、あのアイドルが数多く所属していると噂の堀越高校です。これは意外ですね。
過去に、2002年のB-BOYPARKで、あの般若を決勝で倒して優勝したこともある実力者です。
所属は現在、9SARI GROUPになります。
過去にはLibra Recordsに所属していましたが、「暴行と給料の未払い」を原因にLibraを相手取り、裁判を起こして所属を解消しています。
その関連で、ある人物とBeefに発展するのですが、後々説明いたします。
オススメの音源
オススメの音源をまとめています。
是非参考にしてください。
大麻取締法違反で逮捕からの覚醒剤陽性
2020年5月2日、漢のホームである新宿区で大麻所持の現行犯で逮捕されています。
20年以上警察に捕まらず大麻を嗜んでいた漢さん。
巻くのはポリスとガンジャ
上記のようなパンチラインも捕まらない漢だからこその言葉でした。
後の取り調べで覚醒剤の陽性反応が出たことも大きく報道されました。
2ヶ月後にも再び逮捕
2020年7月6日、1度目の逮捕からわずか2ヶ月後にも大麻取締法違反で逮捕されています。
容疑は6月15日に関係者宅で大麻を0.5g所持していたこと。
容疑に対しては「記憶にありません」と否認したそうです。
この件は関係者からのスニッチがあったと報道がありました。
漢aka GAMIの過去
実は漢、昔はグループでの活動を主にしていました。
そのグループが『MSC』というグループなのですが、このMSCがHIPHOP界伝説のグループの一つです。
ラッパーとリアルをとことん追求した伝説のグループです。
今回は、そのグループの紹介と、当時の漢とラッパーとのBeefや最近話題になったBeefを紹介していきたいと思います。
伝説のグループ『MSC』
漢はMSCというグループに所属しています。
メンバーは漢のほかに、TABOO1、PRIMAL、DOGMAがいます。
過去にはもっとメンバーが所属していましたが、現在は主にこのメンバーとなっています。
このMSCの武勇伝を簡単に紹介すると、
漢が痩せていた当時のメンバー少佐を気にかけて食事をさせていたら少佐がそのまま気絶。
少佐が漢とアムステルダム(舐達麻も行ったマリ〇ナが吸える都市)帰りに空港警察により逮捕。
当時メンバー、麻暴が腕試し感覚でイラン人にビール瓶で殴りかかる。
ちょっと紹介しただけでも、正真正銘のストリート育ちだというのがわかります。
新宿スタイル
漢は嘘をラップしないリアルなスタイルを「新宿スタイル」と称して自身のスタイルとしています。
MSC時代に、実際の出来事をラップで表現する、嘘はつかない。をリアルとして活動していました。
逆に、ラップで言った事は実行しなければリアルではないという恐ろしい考えです。
過去にB-BOYPARKでのMCバトルで、MSCメンバーが「今度あったら刺す」といったことがあります。
すると漢は「歌詞通りにしないとリアルじゃない あいつらを襲撃しよう」といいました。
実際にMSCは相手を襲撃して、当時MSCメンバーのGOが相手のお尻のあたりを刺すといった事がありました。
そこまでリアルを追求する漢ですから嘘は大っ嫌いです。リアル、嘘。これがキッカケで数名とBeefになります。
漢 a.k.a GAMIの幼少期
漢 a.k.a GAMIの幼少期をここで紹介します。
小学生の時から既に悪だった漢ですが、周りの環境も凄まじい物です。
当時の漢の地元は日雇い労働者に溢れており、シンナーの販売も警察は黙認していたそうです。
そう言った環境で育った事もあったのか友人と自転車で暴れ回っていた語っています。
- 自転車に乗りながらゴミ箱を蹴飛ばす
- デパートで万引きを繰り返す
- 商品を裁縫ハサミで切る
上記はあくまで言える範囲の事だと思われますが、中々悪いですね。
そんな中で起こった事件が現在の漢の活動に繋がっているそうです。
万引きを繰り返していたある日、Gメンに見つかり警察に突き出された事で道を外れたと感じた漢。
そこにステータスを感じ、現在の新宿スタイルというスタイルになっています。
漢 a.k.a GAMIの経歴
2000年にMSCの前身となるCrew「MS CRU」を結成。
B BOY PARKに出場するもKREVAに二回戦で敗れます。
2002年に「帝都崩壊」でデビューし、いきなりNITROのDABOをDisります。
2002年からDABOとは長い間不仲だったようです。
そして同年にB BOY PARK 2002で般若を倒し優勝。
知名度は全国区となります。
2003年MSC二枚目のミニアルバム「宿の斜塔」やアルバム「matador」を発表。
現在活躍する多くのラッパーに衝撃を与えました。
2005年にはソロとして1stアルバム「導〜みちしるべ〜」を発表。
1万枚を売り上げる大ヒット作品となった。
しかしこのアルバムの報酬が大元となりライブラと揉めることになります。
また2005年はライブラと共にUMBを立ち上げた年でもあります。
漢a.k.a GAMIのビーフ歴
ここでは漢が過去に起こしたBeefの歴史を紹介します。
DABO
漢は過去にDABOとBeefになっています。
キッカケは、DABOが自身の曲のMVで免許を持っていないのに車を運転していたり、CDジャケットでおもちゃの拳銃を持っていた事です。
これに漢は、リアルではないとDABOに食らいつく形でBeefへと発展します。
数年にわたりBeefを繰り広げますが、ある日クラブで共演したときに漢が車に乗ったDABOを見かけると、「今のDABOじゃないか!」とDABOを発見します。
すると、漢はDABOのステージ中にステージに乱入し、フリースタイルをDABOに仕掛けます。
しかし、DABOは漢に対して持ち歌で返した為、その場はそこで収まりました。
後日、事を心配した般若が仲裁に入り、両者が電話で和解する形でこのBeefは終結しています。
後に、DABOは漢に対してTwitterで、マイメン!といっていますし、漢も最初のBeefの相手がDABOで良かったと話しています。
KNZZ
KNZZとのBeefは発端はKNZZ側から始まりました。
KNZZが自身のアルバムの「THIS IS DIS!feat敵刺」で漢、そしてMSCを痛烈にDISします。
それを知った漢は、自身の番組の「9SARI STATION」でフリスタとインスタにてアンサーを返します。
すると、KNZZは漢の本に落書きをしてアンサーを返します。
そんな中、KNZZ率いる18PRODACTIONが主催するイベントに漢が呼ばれてステージ上で二人がマイクを持ちます。
するとここでKNZZが漢がラップしているときに挑発や唾を漢に吐き掛ける暴挙にでます。
最初こそ我慢してラップしていた漢でしたが、ラップ終わりに我慢の限界がきてKNZZに殴りかかります。
その場は何とか周りの人達により収まりましたが、漢はその後アンサー曲「って事だよね?」を出します。
後に漢の持つ番組の漢さんぽで共演し、和解しBeefは終結しました。
晋平太
これはLibraと漢が対立したときの話です。
漢はUMBで司会をしていた晋平太にLibra所属のアーティストまたは社員なのか?と問います。
晋平太を自身が主催する大会で使いたかった漢、もしLibra所属であるならば対立の対象になる為、聞いておく必要があったからです。
そこで漢と晋平太との間で確認、約束された事は次の事項でした。
- 晋平太はあくまでUMBの司会をしているだけでLibra所属ではない。
- 2016年からは晋平太はUMBの司会をしない。
- この事を漢と晋平太は確認、約束しあいます。
ところが、晋平太がCDをリリースした時にレーベル名にあった文字は「UMB Records」
漢は、「UMB?あのLibraの?お前Libra所属じゃねーか!!」となり、Beefへと発展します。
これが、ネットや現場を巻き込んでヘッズが大注目するBeefへと発展。
二人は現場で対峙しないまま、代々木公園で初めてバトルが組まれます。
しかしそこではその話題に触れずにバトルは終了し、持ち越される形で代々木イベントは終了しました。
決戦の場は、なんとあのフリースタイルダンジョンです。
晋平太が挑戦者で登場し、ダンジョン初制覇が期待される中、第3バトルで現れた漢。
そこでバチバチに二人はやりあいます。
晋平太が、確かに約束破った、だがそんなにメチャクチャ言われるほど悪いことしたかな?と問うと
漢は、お前の口からは嘘しか出ない大ウソつき者だと一蹴します。
すると晋平太、嘘はついたけど正直に言うぜ。俺はそれでも漢くん大好きだぜと本音をぶつけます。
それに漢は、能書きはいらねえ、今すぐ俺と手をつなげ!と和解を提案。
二人はこのバトルを通じてバトルの中で和解します。漢の心意気にやられたヘッズは多かった事でしょう。
漢aka GAMIのフリースタイルダンジョン
漢さんはフリースタイルダンジョンで初代モンスターを務め、圧倒的な威圧感と神がかりな即興をブチかましました。
一時、不調の時もありましたが、「Vs輪入道戦」でキッカケを掴み、最終戦績は
26戦 14勝 12敗
きっちり勝ち越しています!
即興ラップのスキルはB-boy Parkの時以上で、歳を重ねてもベストを更新し続けています。
漢aka GAMIの自伝本
漢は新宿ストリート育ちをバックボーンにリアルな事をラップしています。
その漢が歩んできた人生が惜しむことなく書かれた自伝本を出版しています。
ここではその自伝本を紹介していきたいと思います。
自伝本「ヒップホップ・ドリーム」
漢がだしている自伝本、その名も「ヒップホップ・ドリーム」です。
この言葉をいえるラッパーは限られていると思います。そんな軽い言葉ではないですし、実績が乗っていないと、非常に軽く聞こえてしまう言葉です。
漢は良くも悪くもストリート育ちなので、その赤裸々な人生が嘘、偽りなく書かれています。
この本は、HIP HOP好きな方や、漢に少しでも興味がある方にぜひ読んでもらいたい一冊になっています。
漢プロデュースの「MCバトル全書」
まとめ
昭和53年生まれの新宿を代表するラッパー。新宿拡声器集団、MSCのリーダーで、ヒップホップ・レーベルを運営する鎖グループの代表。ULTIMATE MC BATTLE (UMB) を発案し、フリースタイル・バトルのブームを生み出した功労者。
高校の頃からラップを始め、イベントなどを主催。卒業後に小学校の同級生であるTA-BOOと再会し、ラップ・グループ、MIC SPACEを結成。2000年には、高校の頃から友人だった、SIDE RIDEのメンバーと合流。MS CRUとしての活動を開始する。また同年から “B BOY PARK” MCバトルに参加。
2002年、MS CRUのデビューEP『帝都崩壊』をリリース。収録曲をきっかけに、ラップ・スターだったDABOとのビーフが勃発。3回目の参加となる、同年の “B BOY PARK” MCバトルでは、決勝まで勝ち進み、般若を下して優勝。漢とMS CRUの存在がシーンで広く知られるようになる。
2003年、MS CRU改めMSCの1stアルバム『Matador』を発表。2004年に、”B BOY PARK” のMCバトルに代わる、新たなMCバトルを開催。2005年から本格的に、所属するライブラレコードとUMBをスタート。UMBは日本最大級のMCバトルへと発展し、フリースタイル・ブームの流れを生み出す。
2005年01月に待望の1stソロ・アルバム『導 ~みちしるべ~』を発表。その後、般若の仲介でDABOと和解。2002年から続いていたビーフに終止符を打つ。翌年、MSCの2ndアルバム『新宿 STREET LIFE』をリリースし、好セールスを記録。
2011年に自身のレーベル、鎖グループを立ち上げ、翌年、ミックスCDという形で、2ndアルバム『MURDARATION』をリリース。2014年には、西早稲田駅近くにスタジオとカフェを併設した鎖オフィスをオープン。2015年03月、MSCとして9年ぶりの作品『1号棟107』を発表。06月には、自伝『ヒップホップ・ドリーム』を刊行。また同年09月よりテレビ朝日の番組 “フリースタイルダンジョン” に出演。