Ryugo Ishidaのプロフィール
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MCネーム | Ryugo Ishida |
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旧MCネーム | DUDE |
本名 | 石田リュウゴ |
生年月日 | 1993年5月4日 |
出身 | 茨城県土浦市 |
オフィシャルサイト | https://yurufuwagang.com/index.html |
SNS | Twitter / Instagram |
名前の由来
ソロアルバム”Everyday Is Flyday”を制作後にMCネームを変えています。
以前は”DUDE(デュード)”でしたが、ファーストアルバムをリリースした事をきっかけに変更。
気持ちを切り替える節目だと思い、新ためてHIPHOPで挑戦する意味で、本名にしています。
彼女
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1stアルバム”EverydayIsFlyday”をリリースした後、アルバムにフィーチャーしている秋田のLUNV・LOYAL(ルナ・ロイヤル)と二人で東京に遊び行った時にNENEと出会います。
NENEと話すと、お互いタトゥーの入った位置が一緒だったりして意気投合し、一緒に曲を作る事に。
好きな音楽もお互い似てて盛り上がり、遊びの延長で2人で曲作りをするようになり、自然と”ゆるふわギャング”の結成し、同じ頃に2人は付き合うようになります。
家族
両親の離婚後は母親側に親権が移り、男2人、女2人の4兄弟の長男として育ちます。
別れた父親は家庭内暴力が酷く、その後会う事になるが、その時も会う前から怯えていたほどです。
実際に会うと父親は優しく接してくれ、とても嬉しくまた再会の約束をしますが、ある日手紙が届き、父親の訃報が記されていました。
遺品の整理で父親の実家にあったミニカーがあり、父親からの愛情に気付き、少ない思い出に後悔だけが残りました。
弟のS9UALL(スコール)
Ryugoの弟で、ラッパーとして活動しています。
兄を見てラップを始め、地元土浦でHIPHOPクルー”SOUTHCLOUD”を牽引し、クラブイベント”TRIP VISION”を成功させます。
地元での活動や、兄のソロ音源にゲスト参加しています。
学歴
高校まで通っています。
中学まで学校は余り行かず、高校でも先輩と遊んでばかりでした。
昼はリリックを書き、夜はクラブ遊びの日々。学校で盗んだスニーカーや携帯を売って資金を集め、楽曲制作費用に。
MTRなど機材を集め楽曲制作に夢中で、高校はなんとか卒業します。
ファッション
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2018年からPOP UP STOREのOpening Celemonyでライブをし交流を続けているファッションブランド、”BlackEyePatch”とコラボしMIX TAPEをリリース。
New YorkのポスターキャンペーンにNENEと一緒に参加し、ライブもNew YorkのSOB’sで行い、世界でも名前を拡げ活動しています。
他にも愛犬”JODY”をデザインしたTシャツを7日間限定で発売。
灰皿やコインケース、ステッカーも販売しています。
タトゥー
左目の下に十字架のタトゥー、ゆるふわギャングの名前など数多く彫っています。
NENEと一緒に彫ったりしています。
趣味
聴く音楽は尾崎豊、ブルーハーツ、T-BOLAN、椎名林檎の”私生活”、GOING STEADYなども好きで、ハウスやテクノもBARでアルバイトをしていた頃によく聴いていました。
Ryugo Ishidaの過去・経歴
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HIPHOPとの出会い
小学校6年の頃、同級生がロスのお土産で買ってきてくれた2PACのCDが最初のHIPHOPの出会いです。
中学生になると、従兄弟がオーバーサイズで着るHIPHOPのファッションしているのを見てHIPHOPのファッションを着るようになります。
従兄弟の影響から、ZEEBRAの”STREET DREAMS”やEMINEMの”カーテンコール”を聴くように。
HIPHOPを聴く先輩に声を掛けられ遊ぶようになってから毎晩クラブに行くようになります。
中3の頃から学校へ行かず、遊びに行く先輩に連れて行かれた初めてのクラブで、ライブを観た時は衝撃でした。
ラップを始めたきっかけ
初めてクラブでライブを観た地元土浦の先輩ラッパー、DEAR’BRO(ディアブロ)のライブの後話しかけられ、「お前いくつだ?」「14です」「CD上げるから聴け」と言われCDをもらいます。
その日のうちに俺もラップをやりたいと連絡し、次の日にご飯食べに誘ってもらい、教えてもらいHIPHOPに魅了されます。
それから地元でのしがらみもあり、「この現状を抜け出すには音楽しかない」と覚悟を決め、ススメられたDEAR’BROのサイドMCを任されるようになります。
ラッパーとしての経歴
ラップが上手くなりたい一心で、沢山曲を作り続けます。
DEAR’BROに直訴し、一週間後にはライブに出るようになり、スタジオジブリのインスト集や、DEF TECHのインストでラップを録ったりしていました。
学校からスニーカーや携帯電話を盗み、お金にして制作機材を集めるようになり制作も覚えていきます。
高校から20歳過ぎまで続けたイベントを立ち上げるなど、ラップには情熱があり、高校卒業後に印刷会社でアルバイトをしていたが、「このままではまずい」と思い、友達と2人で借金して、古着屋「YBC」をオープン。
1年ほどで廃業しその後BARで働きながら音楽活動を模索していた頃、現在のゆるふわギャングのプロデューサーであるAUTOMATICに出会います。
「オレは2年で売れたいのでプロデュースしてください」と頼み込み、”1993”というフリーダウンロードのEPを、半年に1回制作します。
2年になった4回目で1st ALBUM”EverydayIsFlyday”をリリースし、東京でライブも増え、注目されるようになります。
デビュー曲
1st ALBUM”EverydayIsFlyday”に収録している”Fifteen”です。
実話を元に書き、尾崎豊の”15の夜”をよく聴いていたようで、サンプリング感覚のタイトルになったかもしれませんね。
MVでは地元の中学生が沢山出演していて、弟のS9UALLも出ています。
ラップスタイル
ダンスミュージックを取り入れた楽曲も多く、メロディ溢れるラップが個性的で魅力あるラップです。
Ryugoも踊らせることを意識して制作に取り組んでいます。
所属しているレーベルやチーム
Ryugo Ishidaが土浦に持っているスタジオでNENE、YENTOWNのJNKMN、プロデューサーHAWO BEATSとよく遊んでいて、いつの間にか”JODY”というユニットを立ち上げ、”555”をリリースしています。
他にもゆるふわギャング、SALU、NORIKIYOが厚木で大きなスタジオを一緒に借りていて、そこのスタジオの名前が”スタジオ新館”からの由来で、”SHINKAN1000”というユニットを始めています。
仲のいい人物
DEAR’BRO(ディアブロ)
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Ryugoの師匠と言っていいであろう、地元の先輩であり、初めてマイクを握ったのはDEAR’BROのサイドMCです。
JNKMN(ジャンクマン)
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Ryugoの”Dior”にフィーチャーするなど、共演だけでなくプライベートも遊ぶことが多いようです。
YOU THE ROCK
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ゆるふわギャングとヘンタイカメラと共に、楽曲制作の為インドに遠征し、3組によるコラボ曲”GOA”をリリース。
Ryugoにとても刺激を与え、インドの遠征をきっかけに、トランスを取り入れ、新しいジャンルに挑戦します。
オススメの音源
“YRB”
1stアルバム”EverydayIsFlyday”に収録。全国に名が拡がるきっかけとなった代表曲です。
BARで働いていた頃、ベロベロに酔っ払ってトイレで潰れて、朝起きたらソファにいて。
何やってるんだろう?と思う反面、楽しい気持ちもあって幸せだった気持ちを書き下ろした楽曲です。
2020年には、DJ CHARIがSMITH CN、Cz TIGER、A-THUGをフィーチャーしREMIXをリリースしています。
取扱注意
アパレルブランド”BlackEyePatch”とコラボしてミックステープ”TAPE TAPE”に収録されている楽曲です。
ハードコアなHIPHOPでライブでも盛り上がる曲です。
まとめ
止めることなくゆるふわギャングとソロの活動を続けHIPHOPヘッズに実力で認知され、活動の幅を更に拡げている、向上心溢れる今大注目のラッパーです。