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【般若】武道館ラッパーのプロフィールや過去・生い立ちを調査!嫁はシンガーSAY

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歯に衣着せぬ物言いと、現代社会を風刺する独特の姿勢を貫くラッパー「般若」。

今でこそ貫禄がありますが、過去に壮絶ないじめを体験していたり、家庭環境が複雑であったりと様々な経験をつんでいます。

今回はそんな般若さんの過去やフリースタイルダンジョンについての思い、ワンマン武道館ライブについてなどをまとめてみました。

般若のプロフィール

MCネーム般若
本名武田 善穂(たけだ よしほ)
生年月日1978年10月18日
身長175cm
出身地東京都世田谷区三軒茶屋
所属昭和レコード
趣味筋トレ
SNSTwitter / Instagram
officialブログhttps://www.hannya.jp/blog.html

般若は1978年10月18日に東京都世田谷区三軒茶屋で生まれます。

出身地


出身地について秋田県と間違って紹介されることが多く、原因は2006年から10年以上もの間Wikipediaにて般若の出身地が秋田県と記されていたことです。

2019年8月にNHKの番組「第二回NHKヤングラップバトル」に出演したところテロップに「秋田生まれ」と表示されてしまいます。

放送終了後にTwitterで「秋田生まれじゃない」と否定した上で、「2度と呼ばれないだろうけど、2度と出ねえ。」と痛烈に批判しています。

般若の名前の由来

般若が「般若」と名乗る以前は本名の善穂から「YOSHI」と名乗っていました。

YOSHI時代、RUMIDJ BAKUと組んでいたグループの名前が般若です。

グループの消滅後、YOSHIから般若に改名。

そこからずっと般若です。

般若の趣味は筋トレ

 

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般若はもともとライブパフォーマンスの精度を上げるためにトレーニングを始めたそうです。

ですが現在では筋トレの魅力にとりつかれ、筋トレ革命家のtestosterone(テストステロン)さんと共に、書籍とアルバムが一体となった作品「筋トレ×HIPHOPが最強のソリューションである 強く生きるための筋肉と音楽」を出版しています。

アルバム「IRON SPIRIT」は筋トレ時に聴いてテンションをあげるのが目的の作品です。

「筋トレ前にやる気を起こさせる」「筋トレ中に気分をハイにする」「筋トレ後に癒す」といった3部構造で全13曲が収録されており、かなり手の込んだ作品になってますね。

「筋トレは合法的にハイになれる」と般若は考えているようで、筋肉に対する絶対的信頼を感じます。

ジョジョに詳しい般若

般若はジョジョに詳しい事で有名です。

アニメよりも漫画派だと語る般若。

月曜日はジャンプとヤングマガジンが発売されるので特に忙しいと語っています。

ちなみに月曜日のジャンプとヤンマガが同時に出る事を「ジャンマガ出てる」というらしいです。

般若は大麻否定派なのか?


般若というと大麻否定派という記事が出てきますが、恐らくは違うのではないでしょうか。

般若自身は大麻を吸わないという趣旨のラップをしているだけで、大麻自体を批判しているわけではありません。

大麻合掌での「吸わねぇ 素だぜ」や吸われた街での「空気以外は吸わねぇよ」「煙を出すとすればソレは灰になる時だけだ」など、自分はという宣言のみです。

自分は自分の般若なので人がやるのは「お好きにどうぞ」というスタンスです。

実際に「UZI」が取締法で逮捕された時、「ヤクブーツ勝手にやれよ」とラップしています。

やるのはいいけど迷惑をかけない事。プロとしての意識を持ってやる事。

般若が言いたいのはそんな事だと思います。

オススメの音源

オススメの音源をこちらにまとめています。

般若のオススメの音源【10選】名曲から意外な楽曲までまとめ!般若(はんにゃ)は東京都世田谷区三軒茶屋レペゼンのラッパーです。 テレビ朝日の番組「フリースタイルダンジョン」の初代ラスボスとして...

般若の過去・生い立ち

般若が般若になるまでの生い立ちや過去を紹介します。

幼少期

 

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般若は日本人の母と韓国人の父をもつ日韓ハーフです。

2歳になる頃には父親は居なくなっており、母親と2人で三軒茶屋に住んでいたそう。

父親に関しては記憶に残っていないそうで、幼少期から聴いていた「長渕剛」が父親像になったそうです。

般若は、「三軒茶屋で幼少期を過ごしたといえば都会育ちだと思われるだろうが、実際は貧富の差が激しく、片親だったのもあり貧乏だった」と当時のことを語っていました。

般若が「いじめ」られた過去

般若は小学生の時に壮絶ないじめを受けています。

虐めの原因は「片親」であったことや「当時太っていた事」、三軒茶屋という町で般若の家庭が「貧乏」であった事だったと語っています。

いじめの内容も加減が分からない小学生なのでかなりキツいものです。

  • 上級生の集団から殴る・蹴るの暴力
  • 死を感じるレベルでプールに沈められる
  • 失明しかけるほど殴られる

聞くだけで悲惨な虐めです。

般若はうんざりしながらもどうすることもできず、いつしか「殺す」とねじれた感情を抱くようになります。

そういった感情からか、仕返しもしています。

遊びの延長で仕返しをした
そしたらその倍痛いめをみた
悪夢はずっと続くのか
そら無理だよだったら潰すよな
石片手に不意打ち家の前
殴りまくった記憶がねぇ
怖いよこんなの自分じゃねぇ
子供心に思う自由じゃねぇ

般若は自伝の「何者でもない」や音源「素敵なTomorrow」でいじめに対する経験に触れています。

中学から高校時代

中学時代になるとイジメはなくなり、般若はサッカー部に所属します。

サッカー部ではMASARU(妄走族)と出会います。

また中学時代の般若はグレており、原付を乗り回していたそうです。

高校生になると「DJ」を目指しミキサーなどを購入。

しかし文化祭でラップしている「RUMI」を見て運命が変わります。

RUMIに日本語ラップのCDを貸してもらい衝撃を受けた般若。

「韻の踏み方」を教えてもらい、3ヶ月後にはフリースタイルのバトルに挑んでいます。

ヒップホップにどんどん熱中していき、駒繋公園で溜まって爆音で音楽をやって過ごしたことが青春だったと語っています。

般若のルーツ

 

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片親で育ってきた般若ですが、20を過ぎてから自身が日韓ハーフだと知ったそうです。

父親について楽曲「家族feat.kohh」で語られています。

内容では、父からの突然の電話で自分には兄がいると知らされ、その後連絡が途絶えてしまう。

そんな勝手な父親を恨んでいると般若は唄っています。

そんな中10歳の頃サーカスに連れていってくれた話などいい思い出もある中で、1994年の7月に父の容態が変わり自分が病院に駆けつけた頃には間に合わなかったと父の死を告げています。

家庭のことや国籍にことに嘘をついていた父をよそに1人の女は強くいた、と自身の母のことを讃えています。

父を憎む歌詞が綴られていますが最後には、俺は揺るがないものを手にした(家族)、俺が死んだら2人で酒飲もうな。と父を許す姿勢が見て取れます。

シンガーのSAYと結婚

 

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筋トレ中毒の般若ですが、2014年の2月にシンガーのSAYと結婚しています。

SAYは自身のブログで「無骨で、飾り気がなくて、それでも自分と音楽にまっすぐな般若さんに惹かれました。/初めて自分の人生をかけて愛したいとおもう人に出会うことができました。」と綴っています。

SAYとの出会い

 

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SAYは2009年にメジャーデビューしていて、ヒップホップシーンでも活躍していました。

SAYの楽曲「ペダルfeat.般若&SINGO西成」では般若とコラボしており、作曲やイベントなどで時間を共にするうちに2人の距離が縮まっていったのでしょうね。

般若の子ども

 

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2014年8月30日に般若とSAYの間に「響くん」が生まれます。

奥さんのSAYは般若について

「素敵な父親。みんなの思うイクメンという感じではないとおもうけど、般若のスタイルのままのお父さん」

と語っています。

響くんを使って筋トレをすることもあるそうで、般若らしい愛情を注いでいるようです。

また、般若とSAYの共作で子どもに送った曲「バースデー」は、夫婦揃ってアーティストならではです。

般若のラッパーとしての経歴

武道館でのライブ、数多くの映画への出演、とまさに成功者のようにも見える般若ですが、過去は壮絶そのものでした。

ラップとの出会い


般若はもともと高校生でDJを目指していたそうですが、高校の文化祭でラップをしていたフィメールラッパーRUMIに衝撃を受けました。

後日、RUMIに話しかけ韻の踏み方を学んでから日本語ラップにハマったそうです。

その後は般若ではなく、「YOSHI」というMCネームでRUMIとDJBAKUと3人で「般若」というグループをつくり活動。

17歳の時にZeebraをDisった音源がラジオで採用され伝説となっています。

のちにグループは自然消滅してしまい「般若」の名前をとって活動を始めたそうです。

妄走族結成

三軒茶屋愚連隊という暴走族グループから派生したグループ「妄走族」を1998年に結成。

メンバーは剣桃太郎、DEN、MASARU、神、K5R、ZORRO、TAKKI、VO a.k.a 狼。

妄走族は当時「カチコミ」と称して渋谷周辺のクラブでマイクジャックを繰り返していました。

その荒さからかなり有名だったそうです。

グループ「般若」が自然消滅した理由も、カチコミにRUMIがドン引きしてしまったからだと語っています。後に著書「何者でもない」で謝罪しています。

2015年に般若は妄走族を脱退していますが、当時のことを今でも思いだすと語っています。

ソロデビュー「極東エリア」発表

妄走族のメンバーが続々とソロデビューしていく中、般若もその流れに乗ります。

2000年念願のファーストシングル「極東エリア」を発表。

一曲目「極東エリア(烈ヴァージョン)」は第一声「アニョハセヨ?耳傾けろ!おいらのチ○ポなめてけろ」から始まります。

今の般若と変わらないギャグとシリアスが混在するシングルです。

般若VS漢!BBOY-PARK2002

BBOY-PARK2002は今でも伝説と語り継がれています。

KREVAの3連覇後初の大会で注目も浴びた大会。

般若とは共に決勝に上り詰めます。

動画を見てもらった分かるとおり決勝のバトルでは漢の圧勝でした。

般若は準優勝のトロフィーと賞状を怒りで投げ捨てて帰ったそうです。

ファーストアルバム「おはよう日本」リリース

2004年についにファーストアルバム「おはよう日本」を発表。ポニーキャニオンからリリースされています。

今よりも規制が緩いのか、かなり攻めたリリックです。

しかし攻めすぎた部分は全て「ピー音」となっており、ピー音の多さも話題になりました。

ピー音なしの無修正版もリリースされています。

武道館ワンマンライブ「おはよう武道館」

 

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般若は2019年の1月11日、初のワンマン日本武道館を成功させました。

オープニングムービーでは豪華な客演と共に80年後の般若を演じるなどユーモアのある演出で会場を楽しませました。

MCでは「ここに来るまで時間掛かってゴメンね。アイドルやってりゃよかった。もっとメジャーでやってりゃよかった。いろんな人とケンカしまくっちゃってごめん。でも後悔してないわ」と話しました。

ライブでは在日韓国人である般若自身が日韓関係をテーマにした「土足厳禁」を披露し「俺はこの日の丸の下でこれを歌うのが夢だったんだよ」と感慨深い様子でした。

般若にとって武道館は目標とする山であり、みんなが連れてきてくれたと語っています。

般若のフリースタイルダンジョン

 

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今や般若といえば“ラスボス”という認識の人も多いほど、フリースタイルダンジョンでお茶の間にも広く知られています。

そんな般若ですが先日突然引退を発表。

彼にどんな思いがあったのか1つずつ見ていきます。

始まり

般若は2003年にMCバトルを一度引退していて2008年のUMBで復活し優勝しています。

そしてZeebraから声がかかり“ラスボス”ポジションとしてMCバトルの世界に復活しました。

引退

 

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まず、初代そして2代目モンスターに感謝の気持ちを述べたいです。不甲斐ない自分を後押ししてくれて本当にありがとう。皆が居たからここまで続けられた。勝ちもあれば負けもある。自分の負け以上に仲間の負けは辛かったです。そして朝から現場に入りあの舞台を作り、自分達の見えないところで戦っている制作スタッフの皆に感謝の気持ちを述べたいです。そして、私と闘ったチャレンジャーの皆、あの時の全ての瞬間は一生の財産です。ありがとう。ZEEBRA…どうやら17才の般若はあの日デモテープを渡した事は正解だったみたいです。そして、会場に来てくれた皆、いつも放送を観てくれてる皆ありがとう。「MC BATTLE」の世界からは身を引きます。誤解しないで欲しい。音楽の世界で、そしてまた違うフィールドでバトルをして行く事には変わりありません。また会いましょう。俺は必ず戻って来る。 2019 5/14 般若

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2019年5月7日に放送されたフリースタイルダンジョンseason5で般若が突然引退を発表しました。

「本日をもってラスボスを降ります。」

会場は驚きにつつまれましたが、般若は次のラスボスにR−指定を指名。

フリースタイルダンジョンで般若がバトルした数は9回だったので半端な数ということでR−指定と最後のバトルをすることに。

ですがいつものようにdisりあうバトルとは打って変わってお互いがお互いを尊敬しているのが感じられる試合となりました。

R-指定は「愛を込めて 般若最低」とアンサー。

結果、第1ラウンドは般若が勝利し、第2ラウンドはR−指定の勝利、最後は勝敗をつけない結果になり幕を閉じました。

引退の理由

般若は引退については決まっていたと話し、3年半続いたラスボスを「最初はこんなに続くと思わなかった」と語っています。

フリースタイルダンジョンについて「社会現象になったがヒップホップのシーンはなにか変わったのか?」「MCバトルが盛り上がったってだけじゃない?」と疑問に思っている節がありました。

さらに「本当に大切なのは、入口はどこでもいい。もっと先のアーティストとしての活動だったりを広げていかないとだめ。」と続けています。

インスタグラムでは感謝の気持ちを述べると共に「音楽の世界で、そしてまた違うフィールドでバトルをして行く事には変わりありません。また会いましょう。俺は必ず戻ってきます。」と書かれていました。

引退の理由についてインタビューでは

「悔しいて気持ち。テレビに出て20年やってきたことがたった数ヶ月でテレビの人になった。ラスボス般若と呼ばれる前にチンカス般若と名乗っていたのにそのイメージがどんどん離れていった。もう一度チャレンジャーとして活動して這い上がろうという気持ちが強くなった。それはバトルではなくて」

と語っています。

般若は熱いバトルを披露するだけでなく、若手のラッパーたちに夢を見せてくれた本当の意味での“ラスボス”でした。

役者としての般若

 

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般若はラッパーとしての活動だけでなく役者としても活躍しています。

最近では「左ききのエレン」や「ボイス110緊急指令室」で誘拐犯役を務めたりと多くのドラマに抜擢されています。

ですがドラマだけではなく映画でも幅広く活躍。

最近では「タイトル、拒絶」にてデリヘルの店長・山下役として出演しています。

そのほかにもビジランテ(2017)でヤクザ役を演じたり

チェリーボーイズ(2018)では最強のヤンキー役を演じたりとラッパーの中ではかなりの出演数を誇っています。

イケメンな上に表情豊かなので般若ならではとも言えるような個性的なキャラたちばかりですね。

般若のbeef歴

今やヘッズだけでなく一般の方にも名の知れている般若ですが、beefに発展したケースはそう多くありません。

そんな中で特に有名なのは映画評論家でもある宇多丸とのbeefです。

宇多丸beef


般若が出演していた映画Zアイランドを宇多丸が紹介しなかったことで般若が自身のブログで宇多丸をdisったのが始まりです。

宇多丸も一応ラジオでアンサーを返し、般若が謝罪して事なきことを得ました。

しかしその後にTwitterで過去にも般若と一悶着あったK DUB SHINEがチャチャを入れてきたため「Kダブは死ね。」とバッサリ切っています。

UZI beef


2018年1月15日にラッパーのUZIが麻薬取締法違反で逮捕されました。

UZIはフリースタイルダンジョンで進行、ナレーションを務めており、逮捕を受け番組は放送内容を変更に。

これに対し般若が

「おいUZIマジでダセエな年上だけどお前しゃべえな/ヤクブーツ勝手にやれよ やんならハナから番組やめろ気まずい奴はテレビに出んな 周りの人に迷惑かけんな」

と強烈なdisをしました。

インスタグラムのストーリーでは、「普段SNSでネガティブなことは言いたくないし発進するつもりもないけど/今の気持ちを素直にいうと最悪の気分だわ」と話していたそうです。

般若はUZIとの関係が長いことを明かしながら、ラッパー同士が戦ってる番組だが彼ら以上に制作スタッフが動いている、UZIのことは大好きだしあいつもそれを解っている、と語っていました。

大麻反対の彼ですがそれだけではなく、逮捕が原因で迷惑が掛かった人たちの気持ちや、UZIのことが好きだからこその発言だったのですね。

KREVA

5月18日のフリースタイルダンジョンの放送ラストシーンで般若が

「おいKREVA!てめえブルってんじゃねえよこの野郎!10年前みたいに俺からばっくれらんねぇぞ!直で勝負してやるここにこい」

と元祖ラッパーのKREVAに宣戦布告しかなりの話題となりました。

KREVAは過去にB BOY PARKで三連覇していて、それ以降は出場を辞退しています。

そのため般若とKREVAは直接戦ったことはありません。

なぜ突然の宣戦布告を仕掛けたのかリスナーによる考察は後を断ちませんでした。

2人の間には因縁があるのではないか、般若が執着している、など様々な憶測が飛び交いましたが、般若はこう語っています。

「KREVAに対してそんな執着はない。あれぐらいのタイミングで彼が参加する形になれば盛り上がるんではないかと思って乱暴なやり方になったが、その形を取った。恨みもなにもなく、むしろ尊敬。」

結局KREVAはアンサーも出さず、自身がフリースタイルダンジョンに出ることはないと断言していたので2人のバトルは行われませんでした。

一方で般若がKREVAを尊敬していると発言したことに安心しているリスナーも多く、一度でいいから2人がコラボした歌が聞きたいと願う声が増えています。

KREVAはBBPで3連覇を果たしているにもかかわらず、それ以降はMCバトルには参加していないので、そんなKREVAの背中を追って般若もMCバトルからの引退を決めたのかも知れませんね。

般若と親交の深い人物

友達は居ないとよく言ってる般若ですが、多くの友人がいます。

特に仲がいい親交の深い人物を紹介します。

長渕剛

 

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般若が憧れを抱いていたシンガーソングライター「長渕剛」。

般若には父親がいないこともあり幼い頃は長渕剛を父親像としていたと語っています。

長渕剛は背中で教えてくれる人だと般若はかなり尊敬していて、リリックで「長渕生まれヒップホップ育ち」というセリフが出てくるほど。

彼にとっての長渕剛は憧れるだけの存在ではなく大きな背中のお父さんなのでしょうね。

ライブや番組に般若を招待するなど、長渕剛さんも可愛がっている様子です。

AK-69

 

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街は違えど同級生のAK-69と般若は仲良しです。

長渕剛のライブに一緒に行ったり、同じジムに通ったりと大親友である様子が伺えます。

同級生で日本語ラップの先頭を走るもの同士、互いに相談したりし合うそうです。

楽曲でもお互いを客演で呼びあったりと、いい関係です。

オジロのMACCHO

般若とMACCHOもまた同級生で仲がいい関係です。

般若の楽曲ではたまにMACCHOの名前が出てきます。

「Life Is One Time -Rhyme & Blues」ではMACCHO、般若、SAYの3人で共演しています。

またMACCHOのソロ楽曲ではSAYがHookを担当する事も多く、共通して仲がいいのがMACCHOです。

R-指定

般若の子どもR-指定のことが好きで、般若とR-指定は一緒に保育園のお迎えに行った事もあると語っています。

般若はよくR-指定によく連絡をするそうで、新しい掃除機を買った際は使わなくなった「ルンバ」をR-指定の家に届けてあげたそうです。

先輩と後輩のとてもいい関係です。

他にも

般若は他にも以下の方々と仲がいいです。

まとめ

以上般若についてでした。

手にしている成功とは裏腹に人知れずの努力をしてきた般若。

数々の経験を経て確実に夢を実現させた歴史の深い男です。

MCバトルから引退した今、次はどのような形でヒップホップシーンを盛り上げていくのか、般若から目が離せません!

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