CHICO CARLITOのプロフィール
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MCネーム | CHICO CARLITO |
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本名 | 非公開 |
生年月日 | 1993年 |
出身地 | 沖縄県那覇市 |
レーベル | Timeless Edition Rec. |
SNS | Twitter / Instagram |
CHICO CARLITOは1993年に沖縄県那覇市で生まれました。
上京後、フリースタイルダンジョンの初代モンスターを務め、2015年には日本最大のMCバトル「ULTIMATE MC BATTLE GRAND CHAMPIONSHIP」で優勝を果たし、その名を全国に轟かせました。
名前の由来
CHICO CARLITOの祖父はプエルトリコ系のアメリカ軍人でした。
CHICO CARLITOが物心つく頃には祖父の行方がわからなくなってしまったそうですが、いつも祖母がプエルトリコ系アメリカ軍人のことを「チコ」と呼んでいたことだけはずっと覚えていたそうです。
そこから「チコ」という名前を自身のMCネームにつけたそうです。
また、MCネームである「カリート」は「カリートの道」という映画からとっており、この映画の主人公も祖父と同じプエルトリコ系だそうです。
学歴
CHICO CARLITOは浪人生活を経て、2013年の春に大学進学のために沖縄県から埼玉県に引っ越しました。
具体的な大学名などは明かされていませんが、一年目の受験の際に受けた名門である早稲田大学には、あと3点足りずに不合格だったことから、かなり賢いことがわかります。
性格
ラップを始めるまでのCHICO CARLITOは、沖縄県那覇市にある国際通りでずっと溜まっており、飲んで遊んでは朝に自宅に帰り、そこから夕方に起きては国際通りに行ってを繰り返す生活をしていたそうです。
しかし、ラップを始めてからは、フリースタイルをしすぎて吐いてしまうことがあったほど努力家あることがわかります。
またCHICO CARLITO自身も「ブレーキをかけれないほど物事に没頭するタイプ」と語っており、なにかにハマるとトコトン打ち込む性格だと考えられます。
ファッション
CHICO CARLITOはLafayetteという神奈川県藤沢で生まれた人気ストリートブランドを愛用しています。
Lafayetteはニューヨークを感じられるものというコンセプトのもと、2003年からヒップホップ、スケートボード、グラフィティなどブラックカルチャーベースのデザインで展開されています。
またTHE NOTHE FACEやBELAYER PARKA、MARCHSANといったストリートファッションのブランドを好んで着ているようです。
CHICO CARLITOの過去・経歴
少年時代
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小さい頃から音楽に触れる機会が多く、1歳の頃のホームビデオの映像では既にオムツ姿ながら歌って踊っていたそうです。
そこから成長していったCHICO CARLITOは高校時代にメロコアなどのコピーバンドをはじめ、ボーカルを担当していたそうです。
しかし、バンドも一年ほどでやめてしまい、高校を卒業した後、一年間ぐらいはぶらぶらしてずっと国際通りで遊んでいたそうです。
周りの友人はずっと前からHIPHOPを聴いていたそうですが、CHICO CARLITO自身はいまいちしっくりこなかったそうで、自身で興味を持ちラップを聞き始めたのは18歳の頃だったそうです。
青年時代
高校卒業後、国際通りで唾奇と出会ったCHICO CARLITOは、そこからクラブに行くようになり、日本語ラップに深く没頭していくようになりました。
その後、2013年の春に大学進学と共に上京したCHICO CARLITOは沖縄県から埼玉県に引っ越しました。
その後本格的にラッパーとしての活動を始めるようになります。
大学に通いながらラップをするため、北千住のサイファーに参加し、実力をつけていったそうです。
ラッパーとしての経歴
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唾奇と国際通りで出会い、交友を深めていく中で、唾奇の先輩がMCバトルに出場するということでそのMCバトルの大会を唾奇と見に行ったそうです。
その際に、唾奇の先輩が優勝して10万円を獲得しているのを見て「これで10万円もらえるなら自分にもできる」と思い」、その日の帰り道からフリースタイルラップを始めたそうです。
ちなみに、このMCバトルを見に行くことに対して、CHICO CARLITOは最初まったく乗り気ではなかったそうです。
1ヶ月後、CHICO CARLITOはMCバトルに出場するものの、1回戦負けでした。
その悔しさをバネにCHICO CARLITOは寝れなくなったり、吐いてしまうほどフリースタイルに没頭したそうです。
そして2013年に上京後、仲間がいない中、北千住のサイファーに参加し、着実に実力をつけていき、上京後初のMCバトルの大会でベスト8の成績を残しました。
そのバトルの際に倒したのが2006年MCバトル優勝者であるカルデラビスタだったこともあり、CHICO CARLITOは自信をつけていきます。
2014年にはCHICO CARLITO自身初のソロ曲「C.H.I.C.O」を発表しました。
2015年10月にはフリースタイルダンジョンにチャレンジャーとして出演し、番組初のモンスター側のR-指定まで上り詰めました。
そのバトルは惜しくもR-指定の勝利で終わりましたが、その年の「ULTIMATE MC BATTLE GRAND CHAMPIONSHIP」で優勝し、2016年には1stアルバム「Carlito’s Way」をリリースしました。
ラップスタイル
CHICO CARLITO自身が「沖縄は日本のヒップホップシーンの中ではメインストリームではないけど、だからこその土臭くて生々しい熱さがある」と語っているように、CHICO CARLITOのラップの中では独特のリズムと沖縄で生まれ育ったからこそ伝えることができるリアルなリリックが特徴です。
特に独特のリズムに関しては、自身ではフロウに関してあまり意識したことはないそうですが、はじめてレコーディングした際にエンジニアの方に「リズムが普通の人より0.5泊ぐらい後ろにずれていて、それがいい感じになっている」と言われたそうです。
また声が高く独特の声を持っているので、マイクの持ち方などにはかなりこだわりがあるそうで、そのマイクや現場によって感覚的に持ち方を変えたりしているそうです。
仲の良い人物
唾奇
唾奇はCHICO CARLITOと同じ沖縄県出身のラッパーです。
現在も沖縄県を拠点に活動しています。CHICO CARLITOと唾奇は元々沖縄那覇の国際通りで出会いました。
そこからクラブに毎晩のように足を運んだり、CHICO CARLITOをMCバトルに連れて行ったりと、唾奇がいなければCHICO CARLITOはラップを始めていなかったといっても過言ではない存在です。
また「一陽来復」や「memory trigger」など唾奇と共に制作している楽曲も多くその仲の良さが伺えます。
CHOUJI
CHOUJIもCHICO CARLITOと同じ沖縄県出身のラッパーです。
唾奇と共にスタジオでMPCの使い方をトラックメーカーの先輩に教わっている際にCHOUJIがたまたま遊びに来ており、そこでCHOUJIの提案で唾奇とCHICO CARLITOと三人で曲を作ったそうです。
しかしCHICO CARLITOはその時鼻炎がひどく、再度コンディションが良い状態でまた三人で曲を作ることを決意してそこから必死に努力したそうです。
CHOUJIはCHICO CARLITOにとって、私生活でもクラブイベントや楽曲制作でもお世話になっている沖縄の先輩だそうです。
崇勲
崇勲は埼玉県出身のラッパーでCHICO CARLITOも出演していたフリースタイルダンジョンで2代目モンスターを務めていました。
CHICO CARLITOが上京した後に埼玉に住んでいたこともあり、二人はプライベートでも電話をしたり、SNSで交流したりするほど仲が良いです。
また二人は「MATCHSRICK」という楽曲も共同で制作していたり、CHICO CARLITOのアルバムの中では崇勲と電話している音源が収録されています。
CHICO CARLITOおすすめの曲
ここではCHICO CARLITOの制作した楽曲の中でも特におすすめの曲を紹介します。
Ryukyu Style/CHICO CARLITO(Produced by hokuto)
CHICO CARLITOが生まれ育った沖縄がテーマとなった曲です。
本来であれば活躍して地元の中で自分が一番ということを誇示し、レペゼンするのがラッパーの醍醐味ですが、CHICO CARLITOの場合、自分が活躍することで生まれ育った沖縄の名前を上げることができるという信念のもと活動していることがわかる楽曲となっています。
沖縄らしい陽気なメロディの中に、沖縄の歴史や後世に伝えたいリリックが胸に響きます。
memory trigger feat.唾奇
CHICO CARLITOがラップを始めるきっかけとなった唾奇と作った楽曲になっています。
沖縄らしいゆったりとしたトラックに唾奇とCHICO CARLITOが自分の今までの人生と今の姿をリリックに綴っているおすすめの楽曲となっています。